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2010.10.01 (Fri)

【SS】偶像町幻想百景「たぬきそば」

 妄想のおもむくまま、百合根Pの「偶像町幻想百景」を舞台にSSを書いてみました。
 偶像町幻想百景ってなんぞや?
 そう疑問に思われた方は、ぜひぜひ下記の素敵な作品群をご覧くださいませ。
 蜃気楼の先にありそうな幻想的でノスタルジックな、ゆったりとした町の空気が魅力です。

(´∀`) あと、あずたかとあずちはもね!
  ('A`)  お前は黙れい。

【NovelsM@ster】偶像町幻想百景(前)
[百合根P/ノベマス/あずさ主演]



【NovelsM@ster】偶像町幻想百景(後)



偶像町幻想百景 まとめ

◎紹介記事1:アイドル妖姫譚(NP氏の本棚)
◎紹介記事2:二次創作の『連鎖』。(君のハートにクー・デ・グラ!)
◎紹介記事3:偶像町の歩き方(NP氏の本棚)


 072あずさ_偶像町_たぬきそば


   -― 偶像町幻想百景 ―-
                「 た ぬ き そ ば 」


 一.赤い月

 月が、赤かった。
 風はなく、月に光を吸い取られているのか、星の光も弱い。
 夏の宵のことである。
 赤い月が妖しく照らす空の下、地面を駆ける小さな影があった。
 未熟な四肢をそれでも全力で動かし、転がるようにひた走る。
 一匹の、子狸であった。
 昼間、灼熱の太陽にあぶられた大気は夜になってもいまだ冷めず、むせ返る土の匂いと混じり合った草の匂いが、肺につまりそうなほど濃く充満している。
 子狸は、自分の背丈以上もある草をかき分け、原っぱを一目散に駆ける。
 急いではいるけれど、何かに追われているわけではない。
 内から込み上げてくる何か。
 心を突き動かす何か。
 それらが、月に向かって、子狸の足を走らせているのだ。
 どこまで行けば――
 どこまで走れば――
 はるか頭上に煌々と輝く、真っ赤なあれに手が届くのか。
 冒険心と好奇心とが月へと誘い、無知と純真とが子狸を走らせ続けていた。
 走り続けているとやがて原っぱが途切れ、萩が密生する丘のふもとに出た。
 息を切らせながらも、急な斜面の丘を一気に駆けあがる。
 丘の上には大きな岩があった。
 周囲にはこれの他に目立った岩はなく、不自然にぽつんと、そびえ立っている。
 天から降ってきたのか、はたまた巨人が放り投げたのか。
 これに比べれば子狸は芋や豆粒にもならない。
 町の人間たちは、狸の形をしたこの岩を《狸岩》と呼んでいる。
 もちろん、そんなことは、物知らずな子狸の知るところではない。
 丘の上に着くと、駆け足を止めて荒く息をした。
 丘は月の光に照らされて、夜だというのに妙に明るい。
 狸岩もいぶかしげに天を睨んでいる。
 子狸は狸岩のそばに手頃な石を見つけて、そこに腰をおろした。
 もしも、狸岩が口を聞けたならば「こんな夜更けにチビが一人で何をしにきた?」と、威厳をもって問いただしただろう。
 だが、子狸は気にしない。
 隣にどっしりたたずんでいる狸岩の存在すら、まったく意に介していない。
 石の上から見下ろすと、先ほど走り抜けてきた原っぱが一面に広がっている。
 静かであった。
 物音ひとつしない。
 虫の鳴き声も、鳥や獣の声もない。
 かすかな風も吹かず、草木のおしゃべりも聞こえない。
 美しい。
 されども禍々しく、恐ろしい。
 赤い月の前に、すべてが息を潜め、沈黙していた。
 丘で月を見上げるのは、子狸と狸岩だけであった。
 幼い瞳にうつる赤い月。
 せまい行動範囲のなかで子狸が知る限り、この丘よりも高い場所はない。
 しかし、月はまだ遠いところにあった。
 手で触れるどころか、近づくこともできない。
 丘よりももっと高い場所。もっと空に近い場所。そこからなら届くかもしれない。
 心当たりは一つもない。
 それでも走り出さずにはいられなかった。
 石から飛び降りると、目的地も方向も定めずに、勘にまかせて走り出そうとした。
 その時である。
 赤い月が、刹那、強く輝いた――ように子狸は、感じた。

 ざわり。

 毛が逆立つ。
 野性の本能が、物知らぬ子狸にも備わっていた。
 急いで狸岩の陰に隠れ、牙の間から威嚇の唸り声を漏らし、辺りに警戒を放つ。
 視界の隅。
 萩の森と丘の境。
 月が降らせる光と森が生み落とす影の境。
 異変は起こった。
 唐突に、されど緩やかに。
 境界上にある草の茂みが、風もないのに、さわさわとおしゃべりを始めた。
 耳につく物静かなおしゃべり。
 まるで声を潜めて、何者かの来訪をひそひそ噂しているかのような……
 子狸があっけに取られていると、それはすぐに騒がしくなり、その一帯の草だけが激しく揺れはじめた。
 何かが、来る。
 普通ではない、何か。
 子狸にも、それだけはわかる。
「!?」
 ざわつき踊っていた草が突如、螺旋を描いて一斉にひれ伏した。
 草が平伏するのと同時に、螺旋の中心の空間が揺らめき、地面から沸き出でるようにして何かが現れた。

 ひらり。

 ひらり。

 それは木の葉のように舞い、煙のように立ち昇る。
 黒と瑠璃の色をした、軽やかな、一対の薄い羽。
 儚げなアゲハ蝶であった。
 
 ふわり。
 
 ふわり。

 横倒しにされた草の上を、蝶が、緩やかに舞う。
 子狸は、きょとんとした顔つきで、それを岩の陰から見つめていた。
 本能が発した警戒は、すでに解かれている。
 何が起こったのか、それはよくわからない。
 けれど、面白そうなものが目の前に出てきたのはわかる。
 獣とはいえ子どもである。子どもは無邪気な好奇心の塊だ。
(エモノ!)
 そう判断した子狸は、勢いをつけて岩陰から飛び出した。
 一直線に、蝶に襲いかかる。
 小さな牙をむき出しにして、月光に輝く蝶の羽に、がぶりと噛みついた。
(やった!)
 獲物をしとめたという達成感が、一瞬にして子狸の心を満たした。
 が――
 おかしなことに、しとめたはずの蝶は、なおも平然と、宙を舞っている。
 蝶に噛みついている子狸は蝶に引きずられて空中に浮いている。
 宙ぶらりん。
 いくら後ろ足をじたばたさせてみても宙をかき回すだけで地面にかすりもしない。
 それどころか、引っぱろうとすればするほど、見かけによらぬ強い力で、蝶に上へと引っぱられてしまう。
 あたかも蝶を餌に釣り上げられた魚のようであった。
 蝶を口から放せばよいのだが、獲物のことで頭がいっぱいで、そこまで知恵が回らない。
 噛みつきながら唸り声をあげ、羽を噛みちぎらんと、さらに顎に力を入れる。
 それでも蝶は地に落ちない。
 子狸は蝶に釣られたままである。ますます興奮していきりたった。
「あらあら~」
 不意に、蝶が鳴いた。
 ぎょっとして、子狸は反射的に口から蝶を放した。
 逃げるように慌てて蝶から離れる。
 蝶を見ると、目を離した一瞬のすきに、蝶は蝶でなくなっていた。
「ごめんなさい。驚かせてしまいましたか?」
 子狸は目を疑った。
 蝶がいたはずの空間には、正体不明の、蝶よりも大きなモノがいた。
(なんだろ、コレ?)
 大人の狸であれば、それが“人間”という生き物であると判断できただろう。
 けれど、子狸が人間を見るのはこれが生まれて初めてだった。
 だから、目の前の存在を、“人間”として定義できない。
 ましてやそれが人間の女であると知ることは、到底不可能であった。
 もっとも、子狸がそれを知っていたとしても、その女を“人間”と呼んだら、彼女はおかしそうに微笑を浮かべたかもしれないが……。
 子狸にもわかるのは、目の前のそれが、初めて見る何かであるということ。
 どうやら生き物らしい。
 危険かどうかはわからない。仲間の狸ではない、未知の生き物。
 警戒心と好奇心をごちゃ混ぜにしながら、子狸はそれを睨みつけた。
 そして、そこに、あるものを見つけた。
 二つの赤い光。
 夜空の月と同じように赤く輝き、月の光よりも妖しい魔を秘めた瞳。
 小さな二つの赤い月が、涼しげに子狸を見つめ返していた。
 子狸の緊張を察したのだろう。
「うふふ。今夜の月はとても不思議ですね。眺めていると、胸がざわめいてしまう」
 つと子狸から視線を外すと、女は月を見上げた。
 雲一つなく、月は冴え冴えとしている。
 子狸は迷った。
 女にならって空の月を見上げるべきか、それとも地にある二つの月から目を離さぬべきか。
 空の月と地の月はお互いを見つめ合っている。
 数瞬考えて、空の月を見ることにした。
 一人と一匹。
 赤い月に誘われた者同士、しばらくの間、ただただ月を眺めていた。
「タヌキさん。お隣、失礼してもいいですか?」
 柔らかな声音で、まるで明日の天気を尋ねるかのように月を眺めながら女が言った。
 子狸は、女の白い横顔を見つめる。
 それに気がついて、女もにこりと微笑む。
 子狸とて、一緒に月を見上げた仲とはいえ、警戒を完全に解くほど愚かではない。
 けれど――
 天に浮かぶ赤い月と二つの赤い月を持つこの女。
 妖しく、恐ろしく、美しい。
 しかし、子どもの瞳にうつる赤い月たちは、なぜか強そうには見えなかった。
 どこか似ていると、子狸は思う。
(ひとりぼっちで、さみしそう)
 そう思った。
 子狸に微笑みかける優しい笑顔も、蝶よりも儚く、弱そうに見えた。
(よくわかんないけど、だいじょうぶ)
 子狸は、女に頷いてみせた。
 ぱっと女の顔が華やいだ。
「ありがとうございます。失礼しますね~」
 嬉しそうに笑い、女はゆったりとした動作で、子狸の隣に腰をおろす。
 その時、黒と瑠璃のアゲハ蝶が、ひらりと舞った。
 よく見ると、女が身につけているひらひらしたものに蝶がぴったりくっついている。
 蝶は、着物の左袖に染められた模様であった。
 右袖にも同じ蝶がもう一匹染められている。
 ひらひらにくっついているこのアゲハ蝶。
 どうやら自分の知っているそれとは違うらしい。
 蝶の羽には、ところどころ、小さな穴がいくつも開いていた。
 子狸が首を傾げて袖を見つめていると、
「めっ、ですよ」
 いたずらっぽく女が笑った。
「いきなり女性の着物の袖に噛みついてはいけませんよ。さっきは私も驚いてしまいました~」
 キモノ?
 ソデ?
 知らない言葉だった。
 ただ、これに噛みついてはいけないとたしなめられているのは、なんとなく理解できた。
 疑問は尽きないけれど、とりあえず頷くことにした。
「ふふっ、お利口さんですね~。……あ、そうだ」
 女がぽんと手を叩く。
 手にしていた巾着の口を開いて、そこから小包を取り出した。
 ちょうど両手に収まる程度の大きさで、竹の皮に包まれている。
 包みを結ぶ紐を解くと、拳大の白い塊が三つ、横一列に並べられていた。
「私が作ったおにぎりです。よかったら、お一ついかがですか?」
 女が差し出すそれをまじまじと見つめる。
(おにぎり?)
 おそるおそる鼻を近づけて嗅いでみると、おいしそうな匂いがした。
(たべもの?)
 もう一度女の顔を見ると、女は柔らかに微笑んだ。
(たべものだ)
 お腹の虫が鳴いた。
 物を知らぬ子狸は、遠慮も知らなかった。
 三つあったおにぎりは一つ消え、二つ消え、あっという間に三つ消えた。
 子狸ががつがつ食べている間、女は何も言わず、嬉しそうにそれを見ていた。

 ――それが、一人と一匹の、縁の始まりであった。

 二.そばにある縁

 袖振り合うも多生の縁。
 そんな言葉がある。
 「道で人と袖を触れ合うようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものであるから、人との縁を大切にしなさい」という意味の仏教的な言葉だ。
 この言葉に従えば、すれ違いざまに袖がちょいと触れ合う、言葉を交わすどころか目を合わせることもなく、ただ往来でほんの一瞬接近したという関係があるだけで、それを何がしか因縁に基づく「縁」と呼んでもよいことになる。
 ならば、年がら年中、自らの手でうったそばをお客にふるまい、時には他愛のない雑談もして、お客から少々の銭をいただくのは、俺が思っている以上に大層な縁であるに違いない。
 そばを食い、食わせるのも多生の縁。
 そう名づけてみようかなどと考えていると、
「ごちそうさん。また来るよ」
 いつもの短い挨拶を交わして、常連のお客が席を立った。
 屋台が作り出すわずかな影から出る時、ぴたっとお客の足が止まる。
 辟易した顔で、空を眺める。
 非の打ちどころのない底抜けに明るい青空。
 そこには意気軒昂なお天道様が我が物顔で鎮座していた。
 山あいに潜むこの町くらい目こぼしをしてくれてもよさそうなものなのだが、そこら辺、お天道様はちゃあんと公平だ。今日も今日とて、まったく見逃すことなく、偶像町を夏色にゆであげている。
 炎天であった。
 お客の足がためらうのも仕方ない。
 ため息を一つつくと、覚悟を決めた顔つきで、お客は影の外に足を踏み出した。
「途中で氷みてえに溶けちまわなきゃいいが……」
 ちびちびと小さくなってゆくその背中を見送りながら、俺は独り言をつぶやいた。
 それからしばらくの間、客足がさっぱり途絶えた。
 商売あがったりである。
 しかし、それもまた仕方のないことだ。
 こんな真夏日に、わざわざそばを食いに外に出るのは、よっぽどの酔狂かそば好きだろう。
 俺がお客の立場だったら、家でごろごろしているのが賢明だと判断する。
(今日はもう店じまいして、井戸で冷やしたスイカでも食おうか)
 うちわで扇ぎながらそんなことをぼんやり考える。
 陽射しは屋台の陰で避けられても、熱気からは逃れようもない。
 このような過酷な環境のなか、来るかどうかも知れないお客をじっと待つのはなかなかの苦行だ。それなりの精神力と諦めの悪さがいる。
 もうそろそろ日が傾きはじめる。
 気の早いひぐらしたちもあちらこちらで鳴き始めた。
 それまでぱったり止んでいた風も、一日の帳尻合わせのつもりか、緩やかではあったが、時折吹くようになっている。
 涼やかな風は、お客の足も運んできた。
 見知った顔の常連客だ。
「らっしゃい」
 少女は俺の顔を見るや、
「たぬきをひとつ!」
 仇に泥玉をぶつけるかの如く、荒々しく注文を投げて寄越した。
 なるほど。
 どうやらお客の機嫌は悪いらしい。

 三.荒ぶる犬娘

「ひとりか?」
「おひとり様にはそばは出せませんか?」
 何気なく口にした言葉にいきなり噛みつかれた。
 前言訂正。
 お客の機嫌は、最悪のようだ。
「おひとり様だって構わんよ。おひとり様だろうが団体様だろうが、銭をくれるお客様は神様さ。そばがあれば、ちゃんとおもてなしするとも」
「だったら、たぬきをください。もちろん、冷やしで」
 冷やしの部分をやけに強調してくださる。
「あいよ。たぬきの冷やしね」
 お前はこんなクソ暑い日に、熱いたぬきを出すような気の利かないそば屋がいるとでも思っているのか――そう聞き返してやりたいのは山々であったが、聞けば迷うことなく俺を指差しそうで、また噛みつかれても噛まれ損であるから、黙ってお客様の注文を従うことにした。
 しょうがないのだ。
 俺は、偶像町の隅でそばの屋台をころがす、何の変哲もないつまらないオヤジなのだから。
 客を選べないこんな商売を長くやっていると、いわば必然ではあるが、多種多様な色んなお客に出くわす。
 老若男女。
 貧富貴賎。
 おまけに、人妖神魔。
 へべれけの酔っ払いがハシゴのついでに来ることもあれば、屋台のそば屋には一見似つかわしくない連中が小腹を満たすためにぶらりとやって来ることもある。
 他の屋台はどうだか知らないが、うちに来るお客は常連になってくれる者が多い。確率としては半々といったところか。
 ちょうど今、苦虫を噛み千切ったような顔で頬杖をついてそばを待っている少女も、そうした常連の一人で、どちらかといえば屋台のそば屋にいるのが不思議な類いのお客だ。
 幼さが残る整った顔立ちに、まっすぐな長い髪、そして線の細い華奢な体つき。
 頭にかぶった大きめの帽子が、少女らしさを引き立てていて、なんとも可愛らしい。
 どことなく犬っころみたいな印象を受ける少女である。
 名前を、千早という。
 心のなかでは「犬の嬢ちゃん」と勝手に呼んでいる。
 口に出してそう呼べば、キャンキャン吠えかかってくるかもしれないが。
 店の主人である俺が言うのもなんだが、こんな美少女と言ってもいい娘が、どうしてうちみたいなみすぼらしい屋台のそば屋に好き好んでやって来るのか、いまだに理解できない。
 甘味処とか洋菓子屋とか、年頃の娘にふさわしい場所もあるだろうに。
(それだけうちのそばが美味いってことかね)
 とりあえず、そういう適当な理由をでっちあげて自分を納得させている。
「今日も朝から暑いな」
「夏ですから」
 無視されるかと思いきや、素っ気ない返事があった。
 どうやら口をきくのも煩わしいほどに不機嫌というわけでもないらしい。
「嬢ちゃん、あずさの姐さんと四条の姫さんは元気にしてるか?」
 そばの用意をしながら嬢ちゃんの家族について話を向けてみる。
 すると、ぶっすーとした表情はそのままで、
「あずささんはお元気です。あの人は相変わらずです」
 期待通りの、つっけんどんな答えが返ってきた。
「そうか」
「あなたも相変わらず暇そうでいいですね」
「嬢ちゃんもな。てっきり犬みてえに舌出してへばってるかと思ったが」
「くっ…!」
 冗談のつもりで言ったのだが、図星だったようだ。
 悔しそうな色が顔からにじみ出ている。
 嬢ちゃんは気がついていないようだが、先ほどの「そうか」という俺の相槌には、二つの意味があった。
 二人の現況を確認したという意味での「そうか」と、嬢ちゃんが不機嫌である原因の見当がついたという意味での「そうか」である。
 嬢ちゃんが不機嫌なのは、四条の姫さんと喧嘩したからだ。
 常連のお客のなかには、うちに足を運ぶタイミングやきっかけが決まっているお客がいる。
 この嬢ちゃんの場合、一人でうちに来るのは四条の姫さんと喧嘩したときと決まっていた。
 そうでなければ一人で来るはずがない。
 嬢ちゃんの隣には、いつだって必ず、あずさの姐さんか四条の姫さんがいる。
 うちに来るときもいつもは二人か三人で連れだって食べに来る。
 そんな嬢ちゃんがたった一人。
 ということは、他の二人と一緒にいるのが気まずいか、それとも二人に聞かれたくない話があるということだ。
 そして、それはどういうときかといえば、四条の姫さんと喧嘩したときだ。
 そういう傍迷惑なきっかけでうちに来るのだから、
「あの食欲魔人ったら、本当に意地汚いったらないんだから!」
 当然、四条の姫さんに対する不満を吐き出しながら俺のそばを食うことになる。
 ちんまりした少女がそばを食いながら不貞腐れる姿は、そうそう見られるものではない。
 だが、そばを出す身としては、食うか愚痴るか、どっちかにしてもらいたい。
「まったく! あれで神社の主だなんて聞いてあきれるわ」
 いい音を立てて最後の一口をすすり、そば湯を足してつゆを飲み干す。
「お腹をすかせた野良犬だって、あの人よりもずっと行儀よく食卓のルールを守るわよ。本当にどうしようもないんだから。おかわり!」
「あいよ」
 おかわりを見越して準備しておいたそばを出すと、すぐにそれをすすり始める。
 この嬢ちゃん、見かけによらず、渋い食い方をする。
 そばってのは、せいろに盛られた麺をつゆにつけて食べる、たったそれだけのシンプルな料理だが、実はその食べ方は様々で、食べる人間の個性やら性格やらが垣間見えたりする。
 俺が今まで見てきたなかでも、これほどギャップのある食べ方をするお客はいなかった。
 何事にも己の筋を一本通さないと気がすまないきっちりとした性格で、やや偏屈気味。
 良くいえば生真面目、悪くいえば融通が利かない。
 あずさの姐さんに連れられて初めてうちに来た時、そばの食べ方から推測した嬢ちゃんの性格は大体そんなものだった。
 そして、その見立ては間違いではないと俺は思っている。
 生真面目で一本気であるがゆえに、執念深く、恨み辛みも長持ちするらしい。
 嬢ちゃんの愚痴はそう簡単に止みそうにもなかった。
「まあ、嬢ちゃんの怒りももっともだと思うがよ。しかし、桃の一つや二つくらい」
「よくありません!!」
 すべてを言い終える前に、言葉尻に噛みつかれた。
 下手なことを言えば現実に噛まれそうな勢いだ。
「桃の一つや二つ!? 適当なこと言わないでください! 私がどれだけあれを楽しみにして最後まで取っておいたか知らないくせに!」
 嬢ちゃんの拳が卓を叩いた。その拍子にせいろたちがぴょんと跳ねる。
 触らぬ神に祟りなし。
 食べ物の恨みは怖いとはよく言ったものだ。
 食後の楽しみに取っておいたデザートの桃を、ちょっと席を離れた隙に、食いしん坊の姫さんにまんまと全部食われたというだけで、この怒りようだ。
 食った姫さんからすれば、食いたさ半分からかい半分だったのだろう。
 だが、まったく関係のない第三者の俺までこうして延々と愚痴につきあわされ、被害を蒙っているのだ。
 食べ物の恨み、それも犬っころの恨みとなればかくも恐ろしい。
 火を近づければたちまち引火して爆発するかもしれない。
 ゆえに、俺は思ったことをおくびにも出さず、嵐に震える小動物のようにただひたすら守りに徹して、嬢ちゃんの怒りが収まるのを待っていた。
 ところが。
 ふと気がつくと、妙にくさくさした嬢ちゃんの目が、じっと俺を見ていた。
「……なんだい、嬢ちゃん?」
「その、うんざりしたような顔。人の話を聞いてる時はしないほうがいいと思いますが」
 おや。
 口には出さなかったが、顔にはしっかり出ていたらしい。
 我ながらとんだ失態である。
「あ、また嫌そうな顔をした」
「あのな、嬢ちゃん。相手がうんざりしてると思ったら自主的に話を引っ込めてくれないか?」
 投げやりな気持ちでそう頼んでみる。
 あまり期待していなかったのだが、意外なことに「そうですね」と素直に頷いた。
「ですが、うんざり顔にも二種類あるのを知ってますか?」
 なにやら謎かけめいたことを聞いてきた。
「いや、知らんが。二つもあるのか?」
「それなら教えてあげます」
「ふむ」
「一つは、これ以上愚痴を聞かせるのは悪いなとか、これ以上この人に話しても無駄だなと思わせる、こちらの話す気を削ぐようなうんざり顔です」
「なるほど。もう一つは?」
「他人事と思ってないでもっとこっちの愚痴に付き合いなさい、このお馬鹿さん。そう思わせてくれる素晴らしいうんざり顔です」
 嬢ちゃんがにっこり笑う。今日一番のとびっきりの笑顔だ。
「うへえ」
「あなたのうんざり顔はどちらかというと」
「あーあー、皆まで言うな。わかってるから」
 制止すると、嬢ちゃんはふふんと勝ち誇った顔をした。
 それがまた余計に腹立たしい。
「嫌なこと聞いちまった。どうりで昔っから他人の不幸話やら愚痴やらに縁があると思ったら」
「自業自得です」
「そう簡単に言わないでくれ。こっちにとっちゃ深刻な問題だ」
「おまけで教えてあげますけど、そういう不幸話に嫌々でも付きあってしまうあなたのその中途半端な人の良さも自業自得ですよ」
「待ってくれ。それは自業自得っていうのか? むしろ美点だろう?」
「…………」
「ご愁傷様みたいな顔をすんな。って、おいこら、手を合わせんな」
 なんだか頭が痛くなってきた。
 嬢ちゃんの毒舌の毒にあてられたからだけではない。
 この嬢ちゃんがうちを贔屓にしている理由が、やっとわかったからだ。
 何の気兼ねもなく存分に愚痴れる人間が、そばの屋台をひいて客を待っている。
 これ以上の鴨ネギはない。
 いや、俺の場合、そばネギのほうがふさわしいか。
 ため息をつくと、ひぐらしたちが俺を笑ったような気がした。

 四.三枚の紙

 腹も満たされたと見えて、嬢ちゃんの不平不満はなりを潜めた。
 しかし、いつ再発するとも限らない。
 日もすでに傾いているし、さっさと銭を置いてお帰りいただくのが最善であろう。
 そのための策はちゃんと用意した。
 屋台のそばにある木から大きな葉を三枚選んで取り、それを嬢ちゃんに見せる。
「葉っぱが、どうかしたんですか?」
 当然、怪訝そうな目で俺を見る。
「まあ見てな」
 指にはさんだ三枚の葉を、ひらひらと宙に泳がせる。
 嬢ちゃんの注意を十分に引きつけたところで、
「ちょちょいのちょいの、ちょいやっさ」
 適当な掛け声をかけながら手先の葉っぱをもてあそび、三枚の紙きれに変えてみせた。
 葉っぱに注目していた嬢ちゃんの目がぱちくりと瞬く。
「え……、今のそれ、どうやったんですか?」
「さあて。タネも仕掛けもございません」
 三枚の紙きれを嬢ちゃんに差し出す。
 現物を目にしても信じられないといった様子で、嬢ちゃんは穴が開くらい紙を見つめている。
 それからおっかなびっくり紙をつまんで、偽札を疑うようにしきりに紙の表と裏を観察し、それでも納得できなかったようで、しまいには鼻に近づけて臭いまで調べ始めた。
 俺は思わず苦笑する。
「そいつで餡蜜でも食べに行きな。桃の代わりにはなるだろうさ」
 その紙は、偶像町にある甘味処の回数券だった。
 券一枚につき一セット、餡蜜やら羊羹やらなんやらのお得なセットが食べられる。
「餡蜜? おいしいんですか?」
 興味津々。
 瞳が輝いている。
「たぶんな。聞いた話では、一口食べれば転んで泣いていた子もたちまち泣き止み、二口食べればいかつい鬼もにっこり笑い、三口食べれば地獄の亡者も天に昇ってしまうほど、甘くて美味い――」
 そこまで言いかけて。
 嬢ちゃんの視線が餡蜜に対する興味以外の何かを帯びているのに気がついた。
 口元がにやにや笑っているように見えるのは、俺の目の錯覚だろうか。
「……知り合いがそう言ってたんだ。俺は食ったことないから本当かどうか保証しかねるが」
「そうですか。食べたことないのになぜこんな券を?」
「いや、この前、そばを食いに来たお客がな。財布をうっかり忘れて持ち合わせがないからって、銭の代わりにそれを置いてったのさ」
 嬢ちゃんはふーんと鼻で生返事して、券の記載に目を通した。
「あー、まったく、迷惑な話だ。そば代を餡蜜で払うなんて、なんの嫌がらせだ」
「迷惑なんて言わず、あなたが食べに行けばいいじゃないですか」
「俺一人でか? こんなオヤジに、一人で餡蜜をつつきに行けってのかい?」
「オヤジと言うほど年をとっているようには見えませんが」
「嬢ちゃんは利口だな。油あげいるか? 好物だろ?」
「……私はキツネじゃありませんけど。まあ、いただいておきます」
 小皿に盛った油あげを無表情にもぐもぐやる嬢ちゃん。
 こうしてみると、犬っころぽくもあるがキツネっぽくもある。
「まあ、あれよ。大の男が、女こどもみてえに餡蜜を食ってるのは絵にならんだろ」
「奥さんとか恋人は?」
「いるように見えるか?」
「全然、ちっとも」
 自分から話を広げたくせにきっぱりと即答しやがる。
「さっきの油あげ、返せ」
「食べてしまいました」
「わかってるよ、くそっ」
 俺は気を取り直して咳払いをした。
「とにかく、その券は嬢ちゃんにやるから好きにしな。一枚を三回に分けて使うもよし、一枚を捨てて残りの二枚を一度に使うもよし。もしくはそうだな、三枚を一度に使うのもいいんじゃないか?」
 俺のおすすめは三番目の選択肢である。
 が、嬢ちゃんは眉をひそめた。
 言っていることがすぐには理解できなかったらしい。
 しばし考え込むと、やがて俺の顔を見て、若干迷惑そうにふうと息をついた。
「これは一枚先に使って、あとで二枚を一度に使わせてもらいます。おいしいかどうかわからないものに、いきなりあずささんをお連れするのは失礼ですから」
 第四の答えだった。
「それでもいいさ」
 俺は苦笑した。
「ごちそうさまでした。気が向いたらまた来ます」
「あいよ。毎度どうも」
 ガスがたまったらまたおいで。
 口に出して言いはしないが、胸のうちでそう声をかける。
 回数券を懐にしまう嬢ちゃんの表情からは、それほど嬉しそうには見えない。
 けれど、走って家路につく嬢ちゃんの尻にはしっぽが生えていた。
 犬のようにぶんぶん振り回す、目には見えない犬のしっぽがね。

 五.影法師の風鈴

 犬の嬢ちゃんが家に帰って、またお客がいなくなった。
 今日はもう、お客が来ないかもしれない。
 そろそろ真剣に店じまいを検討すべきだろうかと洗い物をしながら考える。
「そういえば……」
 うちには風変わりな常連がいるのを思い出した。
 そのお客は、閑古鳥の化身みたいな人だった。
 毎回、他にお客が一人もいないときに、それを見計らったようなタイミングでやって来る。
 ここ二週間ほどそのお客の顔を見ていない。
 このひどい暑さで、さすがの閑古鳥も夏バテでもしているのだろうか。
 夕暮れに染まる町の通りを、涼を含んだ穏やかな風が、静かに通り抜けた。

 ちりん。

 ひぐらしたちの合唱の合間をぬって、風鈴の音がした。
 近くの軒先に吊ってあるのだろうかと辺りを見回してみるが、それらしきものはない。
 無論、うちの古びた屋台にはそんな風流なものは飾っていない。
 風が吹くと、またひとつ、ちりんと鳴った。
 今度はさっきよりもすぐそばでしたような気がした。
「やあ、精が出るね」
 不意に。
 風鈴とは正反対の、渋みがきいた男の声が、今まで人の気配がなかった道端からした。
 噂をすればなんとやら。
 顔を確かめるまでもないが、ちらりとそちらに目をやる。
 そこには、決して普通ではないものが、当たり前の様子で、平然と在った。
 これをどう表現するのが適切だろうか。
 世間一般の物差しで測るなら、「怪異」と呼んでも差し支えないはずである。
 見たままを言おう。
 光から生まれ、通常ならば地に這いつくばっているはずの影法師が、何の戯れか、石畳の地面に垂直に立っている。
 影――
 海苔のようにペラペラしているのかというと、そうでもない。
 人間と同じ形、人間と同じ大きさ、人間と同じ厚みを持っている。
 頭の先から足のつま先まで、体も身につけている服も黒一色なのを除けば、人間にそっくりな、いたって普通の存在(ヒト)だ。
 怪異が隣に住まう偶像町。
 妖やら神やらがそばを食いにくるこの町にあって、この程度の異常は驚くに値しない。
 肝をつぶすだけ損ってなもんで、酒のつまみにもなりゃしない。
「暑いねえ」
 影法師はかぶっていた帽子を挨拶のついでに脱ぎ、それをうちわにしてぱたぱた扇いだ。
 どうやら影法師も夏の暑さには閉口するらしい。
 いや、真っ黒な影だからこそ、余計に暑いのかもしれない。
「らっしゃい。久しぶりですね、高木の旦那」
 影法師の名は、高木順一朗といった。
 その素性は、どこかの大店の主人、あるいは社長。
 俺たち二人の間では、そういうことになっている。
 名前も素性も本人の自己申告で、真偽のほどはわからない。
 しかし、俺はそれでいいと思っている。
 こちらも注文されたそばをお客に出す程度の間柄でしかないから、わざわざ真実をつきとめる必要はないし、知りたいとも思わない。
 とりあえずの名と、とりあえずの素性。
 屋台下でそばの縁を結ぶには、それだけあれば十分だろう。
「私もこの夏は、色々と白黒をつけなければならない用事が多くてね、随分ご無沙汰をしていた。繁盛してるかね?」
「ええ、お陰さまで」
 冷水で冷やした酒瓶から、直に酒を杯にそそぐ。
 旦那はいつもそばの前に酒をやる。
 たまに、そばを食わずに、酒だけで済ませることもある。
「どうにかこうにか、お客のためのそばを、自分で食う羽目にはなってませんね」
「それは何より。そばが余るようなら私にも声をかけてくれたまえ。喜んで処理しよう」
 旦那が軽く胸を叩く。
「神出鬼没の旦那にですかい。どうやってこちらから声をおかけすれば?」
「そこはほら、あれだよ。君の方から、こう、念波みたいなものを送ってくれればティンとね」
「ティンとねえ……。わけがわかりませんや」
 切って捨てると、旦那が神妙に「むう」と唸った。
「そんなことより旦那。さっきから気になってたんですが、そいつはどうしたんです?」
「ん? ああ、これのことかね」
 杯の横に置いていた細長い棒を握り、わずかに手を動かす。
 ちりんと、先ほどの涼しげなあの音がした。
 棒の先っちょには、丸い風鈴が吊るされている。
「君に暑中見舞いをと思ってね。いい音色だろう」
 そう言って、釣りの要領でひょいひょいと棒を上下に揺らし、それを鳴らしてみせる。
 金魚鉢の形をしたガラス製の風鈴。
 青と白の水流のなかを、赤い金魚が二匹泳いでいる。
 風鈴の柄としてはありがちな意匠ではあるが、たしかに見ているだけで涼を感じる。
「ここの軒にでも吊るしてくれたまえ」
「ここにですか?」
「ああ。風鈴の音で客を呼び込む風鈴そば。なかなか粋な組み合わせじゃないか」
「こんな幽霊が出そうな屋台じゃ、豚に真珠だと思いますけどねえ」
 旦那から受け取った風鈴をひとつ鳴らしてみる。
 気のせいか、旦那が鳴らした時より、いささか音の響きが悪い。
 風鈴も不満なのだろう。
「まあ、そう言わず、もらってくれたまえよ。また持って帰るのも手間だからね」
「わかりました。ありがたく頂戴します」
「うむ」
 早速、風鈴を軒に吊るそうとすると、
「それにしても、君の狸は相変わらずだねえ」
 酒瓶を傾けて酒をついでいた旦那がしみじみと言った。
 いつの間に奪われたのか、調理場にあったはずの酒瓶が、旦那の隣に移動している。
 毎度のことなので今さら驚いたりしない。
「狸ですかねえ」
「立派な狸だとも」
 褒められているのやら貶されているのやら。
 適当に相槌を打つほかない。
「あれは本物だったのかね?」
「あれ、というと?」
 心当たりがないので聞き返すと、旦那はやれやれといった風に笑った。
「私相手に狸にならなくてもいいだろうに。犬の娘さんにあげていた券のことだよ」
 事も無げに言う。
 情報に通じた高木の旦那には、まず隠し事は通じない。
「おや、旦那も見てたんですか」
「この両の目でしっかりとね」
 どうだといった口ぶりで自分の目を指差す。
 指された場所をうんと目を凝らして見てみても、それらしきものは見当たらない。
 そこにはのっぺりとした、光すらも吸い込みそうな黒が、ただあるだけである。
「純朴な娘さんをあまりからかうもんじゃないよ。楽しみにしていたものがいきなり葉っぱに戻ったりしたら、さぞやがっかりするだろう」
「それは杞憂ってもんですよ、旦那」
 そう言うと、旦那は「本当かね?」と言いたそうな顔をした。
「そんな昔話にしか出てこないような古臭い手、今時はやりませんや」
「そうなのかね?」
「今時のちょい悪そば屋のオヤジは手品を嗜むもの。あれは正真正銘の本物ですよ」
 旦那の眉間に皺がよる。
 どうやら俺の言葉に納得するどころかますます疑念を強くしたらしい。
「嘘とお思いで?」
「いやいや、嘘とは思わないがね。ただ、おかしなこともあるもんだと」
「おかしなこと?」
「財布を忘れた客がそば代がわりに回数券を置いていった。君はそう言ったね?」
「へえ、まあ」
「私の疑問はそこなんだよ。そば代を回数券で払う、そういうことするのは恐らく常連の客だろう。常連の客相手にツケを許さないほど君は狭量じゃないと思うんだがねえ。そうだろう?」
 ああ、そういうことか。
 旦那には小賢しい隠し事や嘘は通用しない。
 わかってはいるが、つまらない内容なだけに今さら引っ込める気にはなれなかった。
「買いかぶりすぎですよ。俺にだって機嫌の悪い時や気まぐれくらいあります」
「なるほど。明日は、雪が降らなければいいがね」
「そいつは願ったり叶ったり。涼しくなってちょうどいいでしょう」
「おや、これはうまいことを言われた」
 酒を口に運びながら、旦那が快活に笑う。
 俺もそれに釣られて笑った。
「まあ、もっとも、真夏に雪が降ってもこの町じゃ異変のイの字にもなりませんが」
「ここは奇々怪々と背中合わせに暮らしているような町だからねえ」
 奇々怪々の代表例が感じ入ったように言う。
「奇は奇を呼び寄せるのだろう。虚実入り乱れ、面妖の者たちがひしめきあっている」
 面妖の者――
 人に仇なす妖を討つ家に生まれ、口にする言葉を真実にする異能を具えし巫女。
 獣の耳と尾をつたなく隠し、人間のフリをして町を闊歩する、犬化身の少女。
 肩に猫の妖を乗せて歩いていることにまるで気づかぬ、人間の物書き。
 憑りついた人間に執心と献身をし、肩の上で幸せそうに昼寝をしている猫又。
 隣人が人間でないことを知りながら当然のように交わり、普通に暮らす人間の娘。
 そして……
 この地と共に永き時を生き続け、多くの縁を看取ってきたであろう、あの人。
 妖しく美しい、赤い月に誘われた夏の宵。
 あらゆるものが沈黙した夜に、ゆるりと現れた黒と瑠璃のアゲハ蝶。
 狸岩で初めて食べた、真っ白なおにぎり。
 俺はあの時のことを思い出し、目を細めた。
「さながら、面妖のるつぼってところですかねえ」
「面妖のるつぼ……ふむ、言い得て妙じゃないか」
「そんなに感心されるほどのことでも」
「いやいや。人間を気取ってそばの屋台を引いてる狸の若大将が、実は甘味処の回数券をこそこそ買い求めるほどの甘党というのも、面妖のるつぼならではの珍事かもしれんよ」
 さらりと言って、杯をあおる。
 風鈴が、ちりんと鳴った。
「…………そんなもの、他に比べれば極めて些細なことでしょうに」
「私はそうは思わないがね。もしかしたらこれをネタに今日のそば代が浮くかもしれない」
「酒の代金はちゃんと頂戴しますよ」
「狸だねえ、君は」
 その狸を手玉に取ろうとする腹黒の影法師はどこのどなた様だか。
 俺の顔を見て、旦那がくっくっと笑った。

 六.斬り祓う者

 一週間後のことである。
 客足が途切れた合間に、俺は屋台の陰できゅうりを食べていた。
 この前の回数券のお礼にと、犬の嬢ちゃんが差し入れに持ってきてくれたのだ。
「俺は河童じゃないんだが」
「おあいこ様です」
 そう言って、用を果たした嬢ちゃんはさっさと帰っていった。
 持ってくる前にわざわざ冷やしてくれたらしく、しゃっきりしていて美味い。
 これで味噌があればいいのだが、生憎、味噌は用意していない。
 味噌の代用に薬味のわさびをつけ、めんつゆに浸して食べている。
 食べ方がなってなおらんと河童に叱られるかもしれない。
 最後のきゅうりをぼりぼりやっていると、屋台の向こうで人の気配がした。
 きゅうりを飲み込み、急いで立ち上がる。
「らっしゃい」
 お客は軒に吊るした例の風鈴を、冷やかな目つきで見ていた。
「面妖な」
 まったく同じ言葉を熨斗をつけて返してやりたい。
 四条の姫さんだ。
「せめて風流と言ってもらいたいもんだがね。これでもお客からの頂き物なんだ」
「ますます面妖な。このようなうらぶれたボロ屋台に贈呈するなど」
「冷やかしなら帰ってもらいましょうかね、この女(アマ)」
「む、なんたる無礼!」
 右手を前に突き出し、目を尖らせる。
 相変わらず、外見からは想像もつかない時代がかった言動をする姫さんである。
「商売人にあるまじきそのような汚らわしき言葉づかい、恥を知りなさい!」
「へえへえ、失礼いたしました」
「反省の色が見えません」
「お客ならお客らしく、店をなじってないで、とっとと注文してくれませんか、お客様」
「いいでしょう。その挑発、乗って差し上げましょう」
 挑発も何も、店としてはごく当たり前の要求だと思うのだが。
 俺がげんなりしていると、四条の姫さんは無駄に優雅な所作で着席した。
「ご注文は?」
「そうですね。まずは、たぬきの冷やしを十人前ほどいただきましょう」
「じゅっ、十人前……」
 思わず絶句する。
 この地に長く住まう者として、並大抵のことでは驚かない自信がある。
 だが、四条の姫さんのこの食欲の異常さには、毎度毎度驚かされる。
 今日は何杯食い荒らしてゆくつもりなのか……
 常人なら聞いただけで胸焼けしそうなたぬきそば十人前も、この姫さんにとっては「まずは」で片付けられる程度の腹ごなしにすぎない。本番はその後だ。
「念のため聞くが、ちゃんと銭は足りてるのかい?」
「ふっ、ご心配には及びません。今日は狸オヤジ殿のおごりですから」
 涼やかに微笑して。
 とんでもないことをしれっと言い切った。
 いや、言い斬られたといったほうがいい。
 この姫さんの言葉は、ただの言葉ではない。
 断刃(ことば)だ。
 この天地に存在するあらゆる事象を、己が意に従わせ断ずる、恐ろしい呪の刃。
 “ある”と言えば“ある”し、“赤”と言えば“赤”になる。そういうものだ。
「俺のおごりねえ……」
 徒労に終わるんだろうなと半ば諦めている。
 しかし、許される限りの抗いはしておくべきだろう。それがそば屋の意地ってもんだ。
「俺はどういった因果で、姫さんにタダで馳走する羽目になるんでしょうな?」
 こちらの悪意の視線をかわして、四条の姫さんは柔らかに微笑んだ。
 それはもう、花も恥らい、天女も真っ裸で逃げ出しそうな、輝かしい笑顔であった。

「あ・ん・み・つ♪」

 別の意味で眩暈がした。
「あー……」
「うちの千早が甘味処の回数券をどこかで頂いたそうで。昨日わたくしに内緒で、あずさと、ふたりっきり、水入らずで、餡蜜を食べに行ったようなのです。その餡蜜がまた、頬が落ちてしまいそうになるほど甘く、美味だったとか」
「へえー、女こどもは甘いものに目がないっていうからなあ」
「わたくしもぜひ食してみたかった……。残念でなりません」
「まあ、そう落ち込みなさんな。次の機会はいくらでもあるさ」
「狸オヤジ殿はご存知ありませんか? 千早がどこの、どなたに、券をいただいたか」
 微笑を浮かべる姫さん。
 その目の奥が、一瞬、背筋が凍りつくような鋭い光を放った。
「さあてな」
 俺は首をひねる。
「餅は餅屋、そばはそば屋。そば屋のオヤジに餡蜜について聞くのは筋違いってもんさ」
「白を切るのですね」
「そばは切るがね」
「……では、質問を変えましょう。わたくしに内緒であずさと二人で食べに行けと、千早につまらぬ入れ知恵をした殿方をご存知ありませんか?」
 完全に濡れ衣である。
 俺は選択肢を提示しただけで、誰と食べに行くか決めたのは犬の嬢ちゃんだ。
「……そんなことを知って、姫さんは一体どうしようってんだい?」
「勿論、決まっております。保護者として、当然、その方に“お礼”をいたそうと」
「お礼?」
「はい」
 気のせいだろうか。
 “お礼”という言葉に、非常に物騒なニュアンスが含まれて聞こえた。
 姫さんが来る前に店じまいしなかったことを俺は痛烈に悔いた。
「お客さん、悪いけど閉店だよ」
「開いております」
「ところがたった今、急用ができて店を閉めることになったんだ。また来ておくんな」
「いいえ、店はまだ開いております。わたくしが帰るまでは、絶対に」
 ……だとさ。
 店は開いてるんだとさ。
 他ならぬ四条の姫さんが言うのだから、そういうことなんだろう。
 チクショウ。
「さあ、おごってくださいますよね? 狸殿?」
 笑顔を微塵も崩さず。
 ぞくぞくする嫌な寒気をもよおす無形の力が、ひたひたと近寄り、俺を窒息させる。
 ああ、俺は、姫さんのこの顔を知っている。
 人に仇なす妖たちを、容赦なくばっさばっさ斬り祓う者の、ひどくおっかない顔さ。
 チクショウめ。
「狸殿?」
「よろしいですとも」
「大変結構」
 四条の姫さんにタダ飯を食わせる。
 つまり、そういうことになった。

                                     -― 終わり ―-


                        072あずさ_偶像町_角印



偶像町幻想百景のタイトルロゴと角印を「偶像町幻想百景 まとめ」からお借りしました。

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