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2011.01.28 (Fri)

【SS】偶像町幻想百景「ざるらぁめん」

 SSを書くたび、己のボキャブラリー不足やら発想の貧困さやら文章の読みづらさを痛感させられているむらたまです、こんにちはー!
 それでも未だにSSを書いてるのはやはりそれだけSS書きが面白いってことなのでしょう。
 今回、百合根Pの偶像町幻想百景の舞台を再びお借りして、SSを一本書いてみました。
 話の内容は、百合根Pの本家「偶像町幻想百景」の前日談……かもしれない物語です。
 なので、未見の方は、ぜひ百合根Pの偶像町幻想百景のほうから訪れてみてください。
 記事の末尾には今回の物語に関連する物語もあげてみましたので、そちらもどうぞご覧くださいませ。
 では、ざるらぁめん一人前どぞー。 




偶像町幻想百景 まとめ


   -― 偶像町幻想百景 ―-
                「 ざ る ら ぁ め ん 」

  目次
   一.信楽の狸
   二.笹舟の行き先
   三.本は届けられた
   四.試食いたしましょう
   五.離れ家にて

 072あずさ_偶像町_たぬきそば

一.信楽の狸

 毎度おなじみ、人間と妖が素知らぬ顔で隣に暮らす町、偶像町。
 この山間の町に一軒のそば屋台がある。
 営業時間は、だいたい昼の三時から翌朝の日が昇るまで。
 営業日は、店が開いているその日が営業日。
 営業時間も営業日も店主の気まぐれで決まる、要するに不規則営業の店だ。
 そういう店であるから営業する場所もかなりいい加減で、いくつかお決まりの場所があるものの、それもあまり当てにはならない。寝床をいくつも持つ野良猫のように、天気や時間、それに店主の気分次第で偶像町のあちこちを転々としている。
 客の都合などまったくお構いなしのとんでもない店といえよう。
 しかし、初代の店主が店を開いて以来、かれこれ創業五十年の歴史を重ねていることもあって、その刻んだ年輪の数は決して伊達ではなく、常連の馴染み客も多くついている。
 今ではその奇妙な営業スタイルと相まって、すっかり町の名物店だ。
 相当の常連ともなると勘で信楽の営業場所がわかるようで、店主の思考と気まぐれを読み、信楽が今の時間、町のどこで商っているか当てられるようになったら一人前の常連であると冗談めかして言われている。
 さて、店の名前を紹介しよう。
 彼の店は、その名も『信楽(しがらき)』という。
 信楽。そう、あの信楽だ。
 編み笠をかぶり徳利と通帳を手に持つ縁起物のタヌキの置物で有名な信楽焼。それにちなんだ命名である。縁起担ぎを好むいかにも商売人らしい名ではあるのだが、如何せん店の知名度に反してその名はまったくと言っていいほど知られていない。
 それもそのはず。
 店には看板がないし、屋台の軒にぶら下げた提灯には下手な字で「そば」と素っ気なく書かれ、無地ののれんにもやはり「そば」としか書かれていない。屋台のどこを探しても「信楽」という文字は見つからないのだから、これでは店の名を知りようがない。
 このように広報意欲まるでゼロの店であるから、店主もすぐには名前を思い出せないというひどい有り様だ。しかし幸いなことに、偶像町にはそばの屋台が一軒しかないので、町の中では「そばの屋台」と言えばそれだけで話が通じる。だから店の名を知らなくても誰も困ったりしない。むしろ、店の名で呼ぶほうが不便であるという事実が、このそば屋の実態を如実に表している。
 信楽は現在、二代目七篠権兵衛の手によって切り盛りされている。
 彼のほかに常勤の従業員はおらず、せいぜい夜の光源と秋冬の暖炉代わりに、火を操る妖たちを臨時に雇うくらいだ。普段は権兵衛一人で店を回しており、店といっても所詮小さな屋台であるから、笠地蔵の団体さんでもやって来ない限りそれで十分事足りている。
 ちなみに、信楽のあぶらあげを気に入った黒狐の娘が、暇な時にふらりと遊びにやって来てはあぶらあげ欲しさに店を手伝うようになるのは、もう少し先のお話である。
 紹介ついでに店主についても話をしておこう。
 彼は、年の頃は三十になるかならないかの青年だ。
 本人の弁によれば、店を継ぐ前まで偶像町の外で生活していたのだが、三年前に父親である初代権兵衛が病で亡くなったのを機に、一大決心して二代目七篠権兵衛として店を継いだのだという。
 子が親の稼業を継ぐ。それ自体は巷のどこにでもある、よくありふれた話だ。が、権兵衛親子のそれについて、よくある話の一言で済ませてしまうのはよろしくない。
 というのも、二代目権兵衛が語る後継ぎ話は、頭の先から尻尾の端まで真っ赤な嘘がぎっしり詰まった法螺話であるからだ。そもそも店を始めた初代権兵衛からして人間ではない。
 偶像町の外れに、萩の原と呼ばれる土地がある。
 その周辺の山森に棲息する狸―《萩狸》―が妖となったもの。いわゆる“古狸”と称される獣の妖。それが、七篠権兵衛と名乗る者の正体だ。
 七篠権兵衛の中の狸は、すでに百年以上もの時間を生きており、両手では数え切れない数の妖術を操る。妖術のなかでも幻術を得意とし、変化術と言われるものに関しては古狸たちの間でも屈指の腕前を誇り、ありとあらゆるのものに化けることができる。たとえ妖でも権兵衛の変化を看破するのは容易なことではない。
 そんな権兵衛には、二つのこだわりがある。
 一つは、変化の数だけ名前も使い分ける、というもの。七篠権兵衛(ななしのごんべえ=名無しの権兵衛)という、いかにも胡散臭い偽名感丸出しの名前も、そば屋の店主に化けている時にだけ使用する仮名の一つだ。
 そして、もう一つのこだわりは、普段から仮の姿と名前で生活する、というもの。彼の本名を知る者は同胞の古狸たちを除くと、ごく僅かの者に限られる。権兵衛の幼い頃を知る三浦あずさに、神出鬼没で情報通な影法師の高木順一朗。そして、遠い昔から偶像町に棲む一握りの古株の妖たち。
 権兵衛がそばの屋台を商売に選んでいるのは、そばが好物だからというのも理由の一つであるが、権兵衛の特技である変化もそれと深く関係している。
 屋台なら町の往来を自然に眺めることができ、低価格の庶民料理であるそばは誰でも気軽に食べに来られるので、そば屋台の店主という生業は、人間観察するのにうってつけの商売と言える。つまり、人間の変化を得意中の得意とする権兵衛がそばの屋台を商売に選んだのは、趣味と実益の両方を満たすからだった。
 そんなわけで――
 今日も今日とて、狸の権兵衛は、偶像町のどこかで人間のフリをしてそばを商っている。

二.笹舟の行く先

 蝉の鳴き声がちらほらと降りはじめた七月の初旬。
 お昼を過ぎ、時計の針が三時を少し回った頃、信楽に一人の客の姿があった。
 雪のように透き通った白い肌。人間離れした優れた容姿。腰に届く柔らかな銀の髪を緋色の髪紐で一つに結い、折り目正しく着た爽やかな色合いの着物が見た目にも涼しい。
 権兵衛が言うところの、“屋台のそば屋に似つかわしくない”類いの客である。
 偶像町を守護せし四条神社の異能の巫女――四条貴音、その人だ。
 貴音が座る席の卓には空になったせいろがすでに二枚重ねられており、今食べている際中のせいろも、もうすぐ空になろうとしている。
 店主の権兵衛はそれを横目に見ながら、そばを一人前ゆでている。いつもの貴音の異常な食欲からして、たった三枚のざるそばで満足するはずがないと考えてのことだ。
 ところが。
 最後の一口をすすると、貴音は箸を置いた。
「ご馳走様でした」
「は?」
 ちょうどおかわりを出そうとしていた権兵衛は耳を疑った。
 これは貴音流の新手の冗談だろうか。
 対する貴音はというと、澄まし顔で口元を拭いている。
 権兵衛は出しそびれたせいろを手に持て余しながら貴音にたずねた。
「まだ三枚目だが、もういいのか?」
「ええ、おかわりはもう結構です。あまり食べては夕飯に障りますし、腹八分目という言葉もありますから」
「はい?」
 ますます不可解極まりない。これはイカなるわけか。
 明日の天気はひょっとするとタコでも降ってくるんじゃあるまイカ。
「姫さんよ、ひょっとして具合でも悪いのか? 頭の」
「失礼な」
 貴音はムッとなる。
「そこは頭ではなく体の具合を心配するところなのではありませんか?」
「いや、だってよ。腹八分目なんて姫さんに似合わねえこと言うから。たったざる三枚じゃ、姫さんの腹一分目にもなりゃしねえだろ?」
「なります!」
 半ば反射的に否定して、ぴしゃりと卓をはたく。
 権兵衛は疑うのをやめない。
 口にこそ出さないが、「本当か?」と明らかに言いたそうな目で貴音を見ている。
 貴音はたまらず権兵衛から顔を背け、それからほんの少し間をおいて、
「……わたくしだって、一分目の半分くらいにはなります」
 と、恥らうような声でぽそりと付け足した。
「なあ、姫さん」
「なんです?」
「ちと判断に迷うんだが、俺はやっぱりここで感心したほうがいいのかね? たったざる三枚で腹一分目の半分におなりになるなんて、姫様も大人になられましたねえってよ」
 瞬間、貴音の顔が真っ赤になった。
 肌白であるせいで余計に赤く見える。これではタコ音だ。
「もうっ! 先ほどから失礼な! 貴方はわたくしを何だとお思いなのですか!」
「何って――」
 顎先をぽりぽりかきながら、
「人間の面かぶった化けもんだろ?」
 権兵衛はさも当然であるかのように答えた。
 悪びれる様子は欠片もない。
 元来、権兵衛は、異能持ちの人間を好まない。
 嫌悪や憎悪を抱くほどではないが、人間の範疇を超えた人間に対して斜に構える癖がある。とりわけ貴音の異能のように絶大な力を持ち、それを妖に向けることを人生の一部としている者に対しては、今のように本音混じりの軽口を平然とたたく。
 四条家は古くから偶像町の神事を司り、町を人でない者たちから守護してきた。
 そうした四条の家に生まれ、正統な血を継ぎ、力を色濃く顕現した貴音は、老人から子どもに至るまで町の者たちから篤く敬われている。貴音を低く扱う人間など、町には一人もいない。
 しかし、それも守られる側から見た場合の話だ。
 偶像町の守護という人間側の大義と理屈のもとに四条の秘剣を振るわれる妖からすれば、神と人の守護者も己の生存をおびやかすただの殺戮者にすぎない。
 無論、権兵衛をはじめ、偶像町の妖たちは貴音が無法の殺戮者ではないと心得ている。
 妖が妖であるという理由だけで斬り祓うような理不尽を働く者ではないことも知っているし、四条家の使命を誇りに想うところはあってもその名を笠に着ていたずらに力を誇示することはないことも知っている。
 生まれつき身に具わる四条の秘剣の恐ろしさを知り、それを持つ手を震わせながらも、振り下ろす先を過つことがないよう日々己を研ぎ澄ましている気高き少女こそ、四条貴音である。
 ゆえに貴音は、親族たちから白い目で見られ眉をひそめられようとも、四条の本丸ともいうべき社の敷地内に妖のあずさと千早を住まわせ、一つ屋根の下で寝食を共にしている。
 “変わり者”。
 そういう言葉で簡単に片付けられるような、底の浅い行いでは決してない。
 あずさたちと深く親交を結んでいる権兵衛もそのことをよく知っている。
 だが――
 心のどこか冷めた部分で権兵衛は思う。

 “今”の俺だから、“まだ”斬られずにいるのだ、と。

 もしもこの先、俺が人間に仇なす妖になったとしたら、四条の巫女は俺を斬るだろうか。
(斬る――、だろうな)
 氷よりも冷たく、鬼よりも無慈悲で、定めすら己が意に従わせる残酷なその刀で。
 貴音に斬られる自分を想像して、権兵衛は自嘲で口の端を歪める。
 馬鹿げた考えだ。
 斬られるのが恐ろしいのなら人間に敵対しなければいい。それだけのこと。
 半世紀も外の人間の町で暮らし、我がままで横暴な人間の女に散々こき使われ、その合間に習ったそばをこうして人間に食わせて銭をもらっているこの俺が、よりにもよってこの大喰らいで世間ずれした四条の銀巫女にどうして斬られなければならないのだ。人間を喰らいたいとすら思わないのに。
 そんな馬鹿げたこと、俺ならありえるはずがない。
 俺ならば。
 つぶやいて、口の中に忌々しい苦みが広がる。
 この世の一寸先はすべからく闇のうちにあると、アイツはそう言っていた。
 明日の自分の姿をあれこれ想像することはできても、何人たりとて明日の自分がどうなっているのか今確実に知ることはかなわない。
 俺ならば――とは、なんと頼りなく、自分に都合のいい仮定であろうか。
 そんなものは水面に浮かぶ笹舟よりも不安定で、いつ転覆するとも知れない。
 手元を離れ、すいすい水面を進んでゆくように見える笹舟も、実際は川の流れに身を委ねているだけのこと。障害物にぶつかればぐらぐら揺れ、淀みにはまれば立ち往生し、流れが激しければたちまち波に飲み込まれ水底に沈む。
 変わらないつもりであっても、事と次第によっては変わらざるをえないこともある。
 それが人であっても妖であっても変わらないこの世の理であるというのに、なぜ自分だけがこの先もずっと今のままでいられると安穏に考えることができるのだろうか。
 人の隣にあっても人ではない。それが妖という存在であるというのに。永遠に人の隣にいられる保証など、どこにもない。
 そこまで考えが及ぶと、慌てて頭から追い出そうとするのがいつもの権兵衛であった。
 妖であるのに、人間を好むから。
 四条の異能は好きではないのに、貴音という少女は嫌いになれないから。
 だから、権兵衛は悪態をつく。
 本人に自覚はないが、それが権兵衛なりの線引きの仕方だった。
 しかし、権兵衛の内心がどうであれ、化け物である妖の権兵衛から化け物と呼ばれる貴音のほうはたまったものではない。
「貴方は、またわたくしを化け物呼ばわりするのですね」
 呆れ半分、うんざり半分。
(本当にしょうがない人……)
 貴音は胸のうちで嘆息する。
 権兵衛との付き合いは、何もつい昨日今日始まったばかりのものではない。これまでにも権兵衛とは話の弾みで軽口をたたき合い、幾度となく権兵衛から化け物呼ばわりされてきた。
 初めて面と向かって言われた時こそ慣れぬ侮辱に戸惑い、うろたえ、少なからず傷つきもしたが、あずさの付き添いで嫌々ながら何度か信楽を訪れ、客として権兵衛と接しているうちに、この妖がどのような者でどういう思考の持ち主か、おぼろげに段々わかるようになった。
 ある時、権兵衛の減らず口に貴音が腹を立てていると、
「権さんはね、素直でへそ曲がりな狸さんなのよ」
 と、素行の悪い弟に困りはてている姉のような笑みを浮かべて、あずさはそう言った。
 素直でへそ曲がり。
 その時は矛盾して聞こえたあずさの権兵衛評も、今の貴音になら理解できる。
 権兵衛が口にする“化け物”という言葉の裏にあるもの。
 それは、“恐怖”の感情。
 恐怖が化け物を産み、化け物が恐怖を産む。
 権兵衛は恐れているのだ。貴音に宿る、四条の力を。
 鞘から抜かずとも一太刀で妖を斬り殺せる四条の刀を。
 四条の力を恐れているがゆえに、権兵衛は“化け物”と悪態をつく。
 四条貴音という少女を恐れぬがゆえに、権兵衛は平然と悪態をつく。
 矛盾している。ねじれている。
 しかし、権兵衛という妖の中ではふたつの理屈がへそ曲がって成立している。
 その証拠に、信楽に訪れるといつだって権兵衛はそば屋の主として振る舞い、貴音を客として迎え入れた。貴音が注文をすれば拒否することなくそばを出すし、貴音が席を立てば他の客と同じく「毎度どうも」と声をかけてくる。連れのあずさの手前渋々そうしているのかと思ったが、貴音が一人きりの時もそば屋の主の態度に変化はなかった。
 また、貴音が異能の一端でも見せようものなら途端に嫌そうな顔をするのも、あずさがいてもいなくても同じであった。
(良い意味でも悪い意味でも己の感情に素直。裏表がない。本当に狸なのでしょうか)
 貴音は可笑しくて仕方がない。
 あずさによれば、もう百年もの歳月を生きているはずである。
 だが、権兵衛の言動のひとつひとつを見てみると、やけに子どもじみたところがある。偶像町でそばの屋台をやっているのだって、人間になりたくても人間にはなれない権兵衛が、それでも何とかして人間の輪に入りたくて必死に人間の真似事をしているようにも貴音には見えた。
「さしずめ、百歳児、といったところでしょうか」
 貴音がそう感想を述べると、あずさはぷっと吹き出した。
「うふふ、そうね~。ああいう子だから、貴音ちゃんも言われっぱなしになってちゃダメよ。怒りたければ怒っていいし、思うことがあったら遠慮や我慢なんかしないで、どんどん言いたいことをぶつけちゃいなさい。曲がった鉄は火を入れて叩いてあげないとずっと治らないんだから!」
「……そうですね。わかりました。次からそうさせていただきます」
 貴音の言葉に嘘はなかった。
 権兵衛の人となりを把握したその日から、貴音は権兵衛に遠慮することをやめた。
 今だって遠慮なんかしない。
「なんと物分りの悪い方なのでしょう。化け物に化け物呼ばわりされる筋合いはないと、わたくしは何度も申しているはず。いつになったらその古びた頭で理解していただけるのですか」
「なァに言ってやがる。いい加減、姫さんも己の身の程を知ったらどうだ。そばを何十枚もぺろりと平らげるその上品な口からひねり出した言葉でネギを切るように妖をぶった斬るなんざ、化け物以外の何だっていうんだ」
 権兵衛も勿論遠慮しない。町の人間に聞き咎められそうなことをきっぱり言う。
 貴音は冷静に努め、言い返した。
「お言葉ですが、そう言う狸オヤジ殿こそ、そろそろ身の程をお知りになるべきなのでは」
「何がだ?」
「わからないのならお教えしましょう。そば打ちは本来、人間の営みにして領分。人間に非ざる三下の化け物の分際で、こんな真昼から人間の真似事をするなど笑止千万。ちゃんちゃら可笑しい。狸は狸らしく、茶釜で茶を沸かすか月夜に腹太鼓でも叩いておればよろしいのです。身の程を弁えなさい」
 言葉をもって断刃(ことば)となすのが四条の巫女である。
 祝詞を唱えるが如く、神楽を舞うが如く、悪口すらも淀みなく流麗に舌に乗せる。
 これには権兵衛も「うっ」と唸って、言葉を詰まらせた。日頃、萩狸の長老連中から口やかましく言われているのと同じ事を貴音にまで言われてしまった。
 偶然にも痛いところを突かれた権兵衛は苦虫をつぶした。
「言いやがったな」
「言ってさしあげました」
「ちっ、そこまで言われて黙ってちゃあ狸が廃るってもんだ。今度一晩中、姫さん家の庭で盛大に太鼓を叩きまくってやろうか」
「どうぞご自由に。その時は安眠を妨げる不届きな妖風情を、このわたくしが直々に成敗してさしあげましょう」
 四条神社の離れ家には権兵衛が姉と慕うあずさも暮らしている。夜間、庭で太鼓を叩けば当然あずさも巻き添えにしてしまうのだから、権兵衛には端からそんなことをするつもりがなく、口先だけであることは貴音も承知している。万々が一、権兵衛がそんな愚行に及んだところで、貴音自ら成敗するまでもない。あずさに「めっ」と叱られ、尻尾巻いて逃げ出すのが目に見えている。
 結局は、お互いにいつもの売り言葉と買い言葉であった。
 しばらく睨みあった末に、権兵衛は大袈裟に息を吐いて頭をかいた。
「相変わらず四条の巫女はおっかねえな。善良な妖を脅すたァ、碌でもねえ巫女様だ」
「妖に畏れられるは巫女の誉れ。褒め言葉として頂戴しておきましょう」
「おまけに図々しいときたもんだ。勝手にしろ」
 言い捨てて、権兵衛は貴音に背を向ける。
 今日の勝負は貴音に軍配があがった。
「ところで――」
 と前置きして、
「狸オヤジ殿はらぁめんというものをご存知ですか?」
 ぶつくさ文句を垂れながら調理場で作業をしている権兵衛に、貴音は話を切り出した。
「ああ、知ってるよ。昔、町の外に出ていた時、出張ついでに色んなとこのラーメンを食べに付き合わされたからな。思い出したくもないが」
「そうですか。では、ざるらぁめんというものは?」
「ざるラーメン?」
 権兵衛は首をかしげる。
「聞いたこともないな。ざるそばみたいなもんか?」
「左様。狸オヤジ殿を料理人と見込んでひとつお頼みしたいことが。ざるらぁめんを作っていただけませんか?」
 言うと、「ん?」という顔つきで権兵衛が固まった。
 表情を硬直させたまま軒先にぶら下がっている提灯を指差し、
「そこになんて書いてある?」
 と訊いた。
 貴音は背を反らして提灯の正面に書かれた文字を読んだ。
「そば、と書かれております」
「うちはラーメン屋じゃない」
「店違いは承知しております。ですが、生憎この町にはらぁめん屋がありません。代わりにらぁめんを打てそうな方といえば、わたくしの知る限り、狸オヤジ殿だけなのです……」
 花がしおれるように貴音はうつむいた。
 さっきまで威勢よく口喧嘩を売り買いしていただけに、その様子にただならぬものを感じ、権兵衛は言葉を選んでから口を開いた。
「あのな、姫さん。俺の料理の腕を買ってくれるのは嬉しいんだがよ。そばとラーメンが似てるからって、そんなこと言い出されちまった日にゃあ、俺はお客にところてんを頼まれたらところてんも作んなきゃならなくなるだろ」
「そう、ですね……」
 力なく頷く。
「あずさも喜んで食べてくれると思ったのですが……」
 貴音のかすかなつぶやきが権兵衛の耳についた。
「姐さんが? 姐さんがどうかしたのか?」
 権兵衛に訊かれて、貴音がゆっくりと顔を上げる。
 そこには今にも泣き出しそうな暗い曇り空が広がっていた。
 権兵衛はたじろいだ。やはりあずさの身に何かあったのだ。
「今日は比較的涼しいほうですが、ここのところ毎日暑さが続いているでしょう?」
「ああ」
 今年は例年に比べ梅雨の雨量も少なく、あっけなく思えるほど足早に去っていった。
 暦はまだ七月に入ったばかりだというのに早くも盛夏の兆しを見せている。
 偶像町は山に囲まれているためただでさえ夏は暑いのだが、この調子で八月になれば蝉も熱射病にやられそうなひどい猛暑になりそうだと、町の住人たちは今から噂している。
「おそらく急な気候の変化に体調を崩されたのでしょう。食が進まぬようで、わたくしや千早も心配で」
「粥やくだものなんかも受けつけないのか?」
「はい。ですから、まだ口にしたことのない料理であれば、あずさも物珍しさで食べてくれるのではないかと思いまして。それも狸オヤジ殿がわざわざ作ってくれたものならば尚のこと」
 権兵衛は黙して答えず、腕組みをして考え込んでいる。
 それをのぞき込むように、
「やはり作れないのでしょうか?」
 おずおずと貴音はたずねる。
「いや。材料と作り方さえわかれば、それなりに食えるものは作れると思うが……」
「ならば何も問題はないではありませんか!」
 破顔して手をたたく。
「いや、だからな、材料と作り方が」
「なんとかなります!」
 自信に満ちた声で貴音がはっきりと言い切った。
 ぎょっとして目をひん剥いたのは権兵衛である。
「ちょっ、ちょっと待て。今の、まさか、四条の力を使いやがったのか?」
「はて、なんのことでしょう?」
 言っていることが理解できぬといった風に小首をかしげる。
「とぼけんな。さっき、なんとかなります!って断言しただろ」
「そんなこと言いましたか?」
「言った!」
「言われてみれば……、言ったかもしれませんし、言わなかったかもしれません」
 権兵衛の非難もどこ吹く風。
 草を食みながら尻尾で蝿を追い払う牛よろしく貴音は涼しい顔をしている。
「かーっ! なんでこの姫さんはこういうつまんねえことに限ってあっさり力を使うんだかな。俺にはまったく理解できねえよ」
 権兵衛が天を仰いで嘆いていると、ゆるゆると首を振り、
「つまらないことだから、使うのですよ」
 そう言って、やわらかに貴音は微笑むのであった。

三.本は届けられた

 翌日の午後のことである。
 開店の準備中、仕度の手を休めて権兵衛は考え事に耽っていた。
 昨日、貴音に頼まれた、ざるラーメンなるもの。
 あちこちのラーメンを食べた経験とその名称から、大体の予想はついている。
 とはいえ、ラーメンを食べたことはあっても作ったことは今まで一度もなく、貴音には一括りされてしまったが、そばの屋台を営んでいてもラーメンに関してはズブの素人だ。まずはラーメンの基本的な作り方から学ばなければならない。
「しかし、この町にラーメンの作り方を知ってるやつがいるとは思えんしなあ……」
 そもそも作り方を知っている者が町にいるのなら、店違いの権兵衛のところへやって来る前に、貴音はまず先にそっちにあたっているはずだ。貴音も権兵衛以外にラーメンを打てそうな者は知らないと言っていたではないか。貴音がその気になれば、“いる”と言えば“いる”ことにできるのに、だ。
 あずさに関わる事とはいえ、因果律を歪めることすら可能な四条の力を、無闇に使うのを控えているのだろう。
 権兵衛には躊躇なく力を使ったが、“いない”者を“いる”ことにしたり、偶像町に一軒も“ない”ラーメン屋を“ある”ことにするのと比べれば、そば屋の権兵衛がラーメンの作り方をどこかで知るくらいならば他の者や因果律に与える影響は軽微なものと言える。
(姫さんにしては殊勝なことだ)
 思わぬところで貴音を見直した権兵衛であった。
「となると、あとは本屋で調べるのが妥当な線か」
 貴音の力を信ずるならば、『タヌキでもわかるラーメンの作り方』とでも題名された本が、ホコリをかぶって店の片隅に置かれているに違いない。そして、それを“偶然にも”権兵衛が見つけてしまうのだろう。貴音の言葉はそういうものなのだ。
(ふん。あれだけ四条の力を嫌っておきながら、こうやってそれを期待してるとはな。ザマァない。俺も姫さんのことは言えんな)
 権兵衛が自分のことを鼻でせせら笑っていると、そこへ、
「あのう、ごめんください」
 背にしていた屋台のほうから声をかけられた。若い女の声だ。
「ああ、すみません。まだ準備中でして」
 振り返ると、屋台をはさんだ向こう側の通りに女が立っていた。
 特徴的なまん丸のメガネに、肩にかかった髪がぴょんと跳ねている。
「こんにちは、権兵衛さん」
「なんだ、誰かと思ったら岡本さんとこのまなみちゃんか」
「はい」
 手にふろしきで包んだ荷物を抱え、ぺこりとお辞儀したのは、偶像町に本屋を構える『岡本書房』の看板娘、岡本まなみだ。
 どこか頼りなさそうな印象を受ける娘であるが、それはあずさのものとはまた違う彼女独特の柔らかな物腰と優しげな雰囲気の裏っ返しとも言えた。
 古書も扱う岡本書房にはちょくちょく暇つぶしの本を買いに行くこともあり、まなみとは顔なじみである。
 まなみも貴音ほど頻繁ではないが、ときどき信楽にそばを食べにやって来る。
「すまないけど、ちょっとだけ待っててもらえるかな。すぐに仕度を終わらせちゃうから」
「あ、いえ、すみません。今日はおそばを食べに来たんじゃないんです」
 空いてる手で慌てて手を振る。
「そりゃ残念。ってえことは、その手に持ってる商売道具と何か関係でも?」
「はい。本のお届けものです」
 にっこり笑って、『岡本書房』と文字が書かれたふろしき包みを権兵衛に見せる。
 客が注文した本を取り寄せると、まなみはわざわざ客の家まで足を運び、こうして本の出前サービスをしている。本好きの日中忙しい人や足腰の弱い老人たちに大変喜ばれているそうで、角張ったふろしき包みを片手に持って歩くまなみの姿を、権兵衛も屋台越しに町なかでよく見かけた。
「お届けものって、俺にか?」
 権兵衛は怪訝な顔をする。
 まなみにお届けしてもらうような本を注文した覚えがないのだ。
「実はこの本、もともとは別のお客様がご注文なさっていた本なんです。昨日の夕方取り寄せたばかりで、たった今お客様の所へお届けしに行ってきたんですが、そしたら権兵衛さんのほうに届けてくれと頼まれまして。あ、本のお代は元のお客様から頂いているので大丈夫ですよ」
 まなみの話を聞いて権兵衛はますますわけがわからなくなった。
 本を贈られるような覚えなどちっともない。
 疑問符を頭に並べる権兵衛をよそに、まなみは卓の上に荷物を広げた。
 ふろしきの中から出てきたのは数冊の本。
 そのうち一番上に重ねられていた本を権兵衛に手渡す。
 権兵衛は訝しがりながらそれを受け取り、
「!?」
 本の表紙を見て、文字通り絶句した。
 表紙には大きな文字で本のタイトルが記されている。

 『タヌキにも三日でわかるラーメンの作り方』

 表紙に書かれているのはタイトルだけではなく、ぺろりと舌を出して片目をつぶったタヌキがコックの帽子と制服を着て、得意げにラーメンの丼を右手に掲げている絵がでかでかと描かれている。
「なるほど、そういうことか……」
 腹の底から込み上げてくる嫌な笑いを噛み殺し、権兵衛は独りごちた。
 お茶目なタヌキを睨みつけながら、まなみにたずねる。
「この本を俺に届けるよう頼んだお客ってえのは、もしかして四条の尻巫女かい?」
「しりみこ?」
 四条の、と言ってることから、それが貴音を指しているのはわかった。
 けれど、聞き慣れぬ「しりみこ」という言葉にまなみは首をひねった。
「ケツのでかい巫女ってことだよ」
「まあ!」
 ひどい言い草であった。
 あろうことか、四条神社の巫女様を、お尻の大きな巫女などと呼ぶのは不敬極まりない暴言である。たとえそれが事実で、まなみも密かに「貴音さんのお尻って見事な安産型ね。赤ちゃんを何人でも産めそう」と思っていたとしても、それを口に出して言うのは憚られた。
 なのに、このそば屋の若店主ときたら、堂々と!
(これはちゃんと抗議しておかないと。この人のためにもきっとよくない)
 心の中でぎゅっと握りこぶしを結び、いざ抗議しようとして権兵衛に向き直ったまなみは、権兵衛の顔を見た瞬間、妙な使命感もどこへやら、口から出かかっていた抗議文を慌てて口の中へしまった。
 権兵衛の顔が大変なことになっていた。
 例えるなら、粘土で作った観音様と仁王様の顔をごちゃっと無理矢理くっつけたような、笑いと怒りを同時に表現した奇妙なものが権兵衛の顔の上で展開されていた。
(あんなのまともに見たら、悪い夢を見ちゃいそう…!)
 たまらず、まなみは「ううぅ…」とうめいた。
「ん? どうかしたか、まなみちゃん?」
 目ざとくそれに気がついた権兵衛が訊いてくる。
「い、いえっ、なんでもありません、なんでも。私、まだこれからお届けものがありますので、これで失礼させてもらいますね。では」
 挙動不審に急いでふろしきを包みなおすと、脱兎の如くまなみは急ぎ足で信楽を後にした。一人残された権兵衛はその後ろ姿をしばらく不思議そうに見つめていた。
 それからややあって。
 関心の糸が突然切れたかのように、権兵衛は手にしていた本を卓に放り出した。
 そして、腕組みをして昨日の貴音の言葉を思い返す。
 貴音は言っていた。
「(なんとかなります!と)言ったかもしれませんし、言わなかったかもしれません」と。
 あの時、権兵衛はこれを曖昧なぼかしによる肯定、すなわち四条の力を使ったのだと捉えた。
 しかし実際は違った。
 貴音は確かに「なんとかなります!」と言いはしたが、それに四条の力を込めていなかった。
 込める必要がなかったのだ。
 なぜなら、仕込みはとっくに済んでいて、あとは前フリとして権兵衛にざるラーメンの話をして聞かせればよかったのだから。その話の中で意味深にそれらしいことを匂わせることで、抗い難い四条の力で縛ったと権兵衛に勘違いさせて無駄な抵抗を諦めさせる。そして、ざるラーメンを作る約束さえさせてしまえば、貴音の思惑は九割方達成される。
 権兵衛は歯噛みした。
 今さら真実を知ったところで、もはや後の祭だ。
 約束を反故にすれば、今後ねちねち責められる格好の口実を貴音に与えてしまうことになるし、逆に権兵衛が真実を指摘し糾弾したところで貴音は知らぬ存ぜぬを押し通し、のらりくらりとかわされるのが関の山だ。だいたい貴音に騙されたとはいえ、「材料と作り方さえわかれば作れる」と、自分の土俵で一旦約束してしまったからにはそれを破るのはどうにもプライドが許さない。
 狡猾で計算高い四条の巫女のこと、それをきっちり読み切った上で、あえて四条の鎖で縛りつけなかったのだろう。そうなるとますます約束を反故にできなくなる。自由意思のもとにこれに背けば、この権兵衛には料理人としての自負がないと自ら認めるのにも等しい。貴音相手にそれだけはしたくない。死んでも御免蒙る。
「くそったれ…!」
 ほくそえむ貴音が見えた気がして、権兵衛は虚空に向かって虚しく吠えた。

四.試食いたしましょう

 一週間前と同じ時刻、同じ場所、同じ屋台の席にて。
 社の銀巫女こと四条貴音は、卓をはさんで信楽の店主権兵衛と向き合っていた。
 目の前には器が三つ並べられ、それらを眺める貴音の視線は幾分冷やかである。
 その様子は「眺める」というより「睥睨する」といったほうが正しい。
 三つの器は向かって右から、せいろ、四角い小皿、小さめの丼の順に並んでいる。
 せいろにはそばとは異なる麺が一山盛られ、その上にはざるそばのように刻んだ海苔が散らされている。その隣の四角い小皿は十字型に四つに仕切られており、それぞれの場所には薬味のネギ、わさび、白ごま、ゆずが少量ずつ乗っている。そして、左の小さめの丼。そこに六割ほど満たされている液体は濃い醤油色をしている。
 貴音の不機嫌の原因は、まさにその液体にこそある。
 暴発しそうになる感情を抑えながら、
「これは、一体何のつもりですか?」
 丼に注がれた液体を指差し、貴音は権兵衛に言った。
 その声には多量の非難が混じっている。
 しかし、問われた権兵衛はそれを無視して、おどけてみせた。
「何って見ての通りさ。ざるラーメンのつけ汁だよ。まさか、食いしん坊な姫さんは麺だけで食べるつもりだったのかい?」
「馬鹿を言わないでください」
 丼に鼻を近づけてみると、信楽で何度も嗅いだことのあるかつお節と昆布のダシがよくきいた食欲をそそる良い匂いが汁から香っている。
 やはり――
 貴音は目を尖らせて権兵衛をキッと睨む。
「そばつゆではありませんか!」
「そうとも。うちのつゆに何かご不満でも?」
「当たり前です! 麺はいいとしても、つけすうぷがこれではざるらぁめんとは申せません!」
「なに言ってんだ。ちゃんとそばの代わりにラーメンの麺を盛ってるだろうが。ざるそばのラーメン版なんだから、これで合ってんだ。そうに決まってらァ」
 権兵衛が自己流解釈を垂れる。
 その時。
 ぷつん、と何かが切れる音がした。

「この、たわけ者!!!!」

 大喝。空気がびりびり痺れる。
 今ここにちゃぶ台があれば、貴音は頑固親父ばりにちゃぶ台返しをしたに違いない。
「らぁめんをそばつゆで食べさせる痴れ者がどこにいるのですか! ざるらぁめんは、ざるそばの形式でらぁめんの麺を冷たいすうぷに浸して食べる、夏ならではらぁめんなのです。それを安直に麺を替えただけでざるらぁめんを名乗ろうとは言語道断。許し難し。さあ早く、らぁめんに謝りなさい!」
「誰が謝るか。たわけはどっちだ。一体どこの世界にそば屋にラーメンを作らせる馬鹿がいるってんだ。こちとらそば屋の誇りを一旦脇に置いてラーメンを打ってやったんだ。つゆくらい大目に見ろ」
「愚かな」
 一言つぶやいて。
 貴音は薄い笑いを唇に乗せ、卓の上を指でなぞると、その指先をふっと吹いて見せた。
「そりゃあどういう意味だ…?」
 権兵衛のこめかみに青筋が浮く。
 貴音はにっこりと微笑んで、
「貴方の誇りなど、その辺のホコリよりも軽いということです」
 さらりと言ってのける。
 あからさまな挑発であるが、しかしそれが逆に、熱した権兵衛の頭を急速に冷やした。
「……食うしか能がねえくせに文句垂れることだけは一丁前だ」
「文句ではありません。代価に見合うだけのものを食したいという客として当然の要求です」
「ほう、客と言うからには今日はちゃんと銭を払ってくれるんだな?」
「ご冗談を。このような半端なものに代金など払えません」
 と言いながら、貴音は慣れた手つきで薬味のネギとわさびをつゆの中に落とすと、麺を一つまみしてつゆに浸し、それをすすり始めた。
 麺をすする良い音が小さな屋台に響く。
 それがあまりにも自然であったために権兵衛は文句を言うのも忘れ、一連の流れるような貴音の所作にすっかり見とれていた。
 そして、ようやくそれに気がついたのは貴音が二口目を食べ終えた後だった。
「銭を払う気がねえのに堂々と食うの、よしてくんねえかな」
 疲れた顔で権兵衛が言う。
 すると、貴音はかすかに微笑し、それから真剣な眼差しを権兵衛に向けた。
「それはそれ、これはこれ。据え膳食わぬは四条の恥ですから」
「無駄に良い顔しやがって。四条の看板も泣いてんな、こりゃ」
 やになっちまうぜ、まったく。
 ぼやきつつ屋台を出ると、権兵衛はふらふらと通りを歩き出した。
「どちらに行かれるのです?」
「ちょっとそこまで買出しにな。すぐに戻るから店番しててくれ」
「天海屋に行くのでしたら、わたくしにもお饅頭を買ってきてくださいね」
 抜け目ない注文に脱力した権兵衛の首がかくっと折れる。
「……あいよ」
 やけくそ気味に返事して、権兵衛は空を見上げた。
 誰かと手を繋ぎたくなるような輝く空が、遥かな高みまで続いている。
 この空は、はたして世界のどこまでつながっているのやら。
 期待に満ちた貴音の視線を後ろ背に感じながら、権兵衛は、今日も今日とて偶像町を歩いている。

五.離れ家にて

「え?」
 最初にきょとんとしたのはあずさ。
「へ?」
 あずさがきょとんとしたのを見てきょとんとなったのが権兵衛。
 お互いに意味がわからず、あずさと権兵衛は顔を見合わせた。

 貴音に試食のざるラーメンを披露してから二日が過ぎた。
 偶像町で最近の話題は、季節になっても一向に咲かない花たちと町を徘徊する不思議な犬の話で持ちきりだ。
 どこぞの夫婦の痴話喧嘩やどこぞの妖娘の恋模様、はては大衆図書に現を抜かす配下の八咫烏を嘆く神様の愚痴やらまで。商売柄、《昼》と《夜》の町の噂を多く耳にする権兵衛も、勿論それを耳にしていた。
(咲かない花に不思議な犬か。犬といやあ千早の嬢ちゃんだが、何か関係でもあるのかね)
 噂話を頭の隅でこねくり回しつつ、権兵衛は、町の起伏をえんやこらと乗り越えながら屋台を引いていた。
 通い慣れた道をしばらく行くと、やがて天まで届きそうな石段にたどり着いた。
 遠目からは白い大蛇のようにも見えるそれのてっぺんに四条の神社がある。
 権兵衛は石段のふもとに屋台を止め、岡持ちを片手に軽い足取りで石段をのぼった。
 岡持ちの中には例のざるラーメンが収められている。
 妖である権兵衛が人目を憚ることなく神社の鳥居をくぐるのは何ともおかしな光景であるが、昼間出かけるのが労になるあずさのために、月に数回、屋台ごと特別出張するのが権兵衛の習慣だった。
 こうやって岡持ちを持って神社の石段をのぼるのは久しぶりだ。
 いつもなら石段のふもとに屋台を止めて、貴音や千早を伴ってあずさが日傘を差して降りてくるのを権兵衛は大人しく待っていればよかった。
 けれど、今日は事情が事情だ。
 あずさの体を気づかって、権兵衛のほうからあずさたちの離れ家へ出向くことにした。
 鳥居をくぐると、石畳の参道が境内を真っ二つに割って拝殿に向かってまっすぐに伸びており、神社の核である本殿は、賽銭箱が設置されている拝殿と構造的に一体となってその奥にひかえている。
 本殿の脇には神楽殿や祭具殿が、その背後には四条の者たちが暮らす屋敷がある。
 そして、さらにその先のもっと奥、神社の敷地の隅のほうに一段と小高い場所があり、そこは何かを隠すように視界を木立によって遮られている。
 権兵衛が目指すあずさの離れ家は、その木立の向こう側にある。さながらこの木立は、人と妖の領域を分け、神聖な神社と穢れの離れ家を隔てる屏風であった。
 もっとも、敷地内で最も高い場所にあるのがこの離れ家だ。そこからは偶像町の町並みはおろか、神社の屋根すらも見下ろせるのであるから、居候の妖が家主の神の頭の上に住み、そこで人間の少女と寝食を共にしているというのはいささか奇妙な構図ではあった。
 木立の中へ続く緩やかな坂も踏破して、権兵衛は離れ家の玄関に向かって訪問を告げた。
 すると、「はーい」という明るい声と共に、あずさ自ら戸を開けて顔を出した。
 体調を崩していると聞いていた権兵衛は、てっきり貴音か千早が出てくるものと思っていたため、不意なあずさの登場に少々面食らった。貴音から話を聞いた時からだいぶ日が経つし、体調も良くなったのだろうか。 
「いらっしゃい、ぽん太郎ちゃん」
「うん、久しぶり」
 普段は仮の名と仮の姿で暮らす古狸の権兵衛も、あずさと二人きりの時だけは、妖になる前の子狸だった頃の自分に戻る。「ぽん太郎ちゃん」というのも、あずさだけがそう呼ぶ幼い頃からのあだ名だ。
 本名を呼ばれる事を極端に嫌う権兵衛に気を使って、本名を知っているあずさも権兵衛と二人だけの時は「ぽん太郎ちゃん」と呼び、権兵衛が仮の姿の時は権兵衛のことを「権さん」と呼ぶように仮の名で呼んでいる。
「それよりも姉ちゃん、姫さんと犬の嬢ちゃんは?」
「二人ともお出かけ中よ。さ、中に入って」
 弾んだ笑顔のあずさに案内されて、権兵衛は居間へ通された。
(いくら姉ちゃんでも、さすがに家の中では迷子にならないか)
 あずさの背後でほっと胸をなでおろす権兵衛であった。
 挨拶もそこそこに、権兵衛は早速、岡持ちのフタを開けた。
 あずさはざるラーメンを見ると事のほか喜んだ。
「まあ、これがざるラーメンなのね。貴音ちゃんが楽しそうに話していた」
 貴音がしかめっ面しそうなことをあずさが言う。
 権兵衛のざるラーメンが食卓の話題にのぼった時、貴音は権兵衛のいい加減な仕事にすこぶる立腹していたのだが、それを聞いていたあずさにはどうやらそれが楽しそうに見えていたらしい。貴音がこの場にいたらすぐに訂正を入れたことだろう。
 だが、今日は千早を連れて外に出かけている。
 この家にしては珍しくあずさ一人しかいない。
 騒がしい二人がいないせいかずいぶん広く感じる、と居間を見渡しながら権兵衛は思った。
「ねえ、ぽん太郎ちゃん。訊いてもいい?」
 そう言ってあずさがたずねたのは、そば屋の権兵衛がどうしてざるラーメンを作ったのかというもっともな疑問だった。ざるラーメンを作ってほしいと注文した当の貴音は、ざるラーメンを食べた感想をまくし立てただけで、その経緯についてはてんで触れなかった。
 食欲不振のあずさを心配して権兵衛に無茶を頼んだと説明するのが照れくさかったのかもしれない。
(あの姫さんにも可愛いとこがあるもんだな)
 権兵衛は笑いをこらえた。
 あずさがどうしても理由を聞きたそうにしているので、ついでに貴音の株でも上げといてやろうと、事の経緯をはじめから説明することにした。
 そして、話があずさの食欲不振の辺りに差しかかると、あずさがなぜか「え?」と声をあげて驚いたのが冒頭のくだりである。つい最近の自分の話であるのにまるで知らないといった様子のあずさを見て、権兵衛まで「へ?」と目を丸くした。
「あらあら。私ったら、体の調子が悪そうに見えてたのかしら~?」
「いや、かしら~?じゃなくてさ。自分のことだろ、姉ちゃん」
「うふふ、ごめんなさい」
「姉ちゃん、もう一回確認するけど。姉ちゃんがこの暑さにやられて食欲がないのが心配だから、ざるラーメンを作ってくれって俺は姫さんに頼まれたんだけどさ、それに心当たりは全然ないわけ?」
「えーっと~……」
 頬に指を当ててしばし考えて。
 やがて何かに思い当たったらしく、あずさははにかんだ。
「あのね、ぽん太郎ちゃん。どうやら私、貴音ちゃんにダシにされちゃったみたい」
「は?」
 権兵衛はぽかんと口を開けた。
 上滑りしそうになるあずさの言葉を頭の中で何度も何度も丹念に噛み砕いて、やっと権兵衛はあずさの言わんとしていることを理解した。
「それってつまり……、姉ちゃんの具合はちっとも悪くなくて、単に姫さんが食べたかったから俺に嘘をついたってことか……?」
 権兵衛の拳がぷるぷる震える。
 それを見たあずさは、ややためらいがちに頷いた。
「あんにゃろう……!」
「怒っちゃダメよ」
 すかさずあずさがたしなめる。
「考えてもみてちょうだい。どうして貴音ちゃんは、自分が食べたいからざるラーメンを作ってくださいってぽん太郎ちゃんに素直にお願いしなかったのかしら?」
「そりゃあ……」
 言いかけて、権兵衛は口を噤んだ。
 回答はある。けれど、それを言えば自分がみじめになる気がしてならなかった。
 あずさはしばらく権兵衛の言葉の続きを待ってみたが、権兵衛は貝になってしまった。
 やむなく、あずさは続けた。
「貴音ちゃんが本当のことを言ってぽん太郎ちゃんにお願いしても、ぽん太郎ちゃん、冗談じゃないって怒るでしょ? 貴音ちゃんだって怒られたくはないのよ」
 推測したありのままをあずさは穏やかに述べている。
 けれど、穏やかな言葉の陰には、ほんの少しだけ権兵衛を責める隠し味があるのを権兵衛は感じ取っていた。それがちくり、ちくりと、権兵衛の胸を刺す。
 あずさの言うことに間違いはなかった。もし本当の理由を言って頼んでいたら、たとえどんなに貴音が真剣だろうと、権兵衛は取りつく島もなく貴音の頼みを一蹴していただろう。「うちはそば屋だ。ラーメン食いたきゃラーメン屋へ行け」と。
 だから、貴音は策を用いた。
 権兵衛の泣き所はあずさである。
 あずさのためと言われれば権兵衛が断れないのを知っていたから、あんな嘘を言ったのだ。
 見方を変えれば、権兵衛自身が招いた嘘とも言える。
 それに気がついてしまった権兵衛は、何か反駁しようとしても、胸にある自業自得という思いが喉を塞いで言葉が出てこなかった。
 二人だけでは広すぎる居間に沈黙が訪れた。
 静かな空間にある音といえば、あずさがすするラーメンの音だけだった。
「ぽん太郎ちゃんが作ってくれたこのざるラーメン、冷たくてとっても美味しいわ」
 それは、もういいわよ、というあずさからの合図。
 眉間にしわを寄せて渋面していた権兵衛は息をついた。
「……そう。それならよかった。姉ちゃんに喜んでもらえて」
「でも、こんなに美味しいのに、どうして貴音ちゃん、あんなに不満を言ってたのかしら」
 あずさの素朴な疑問に、権兵衛は少しバツの悪そうな顔をした。
「そりゃあまあ、仕方ないんじゃないかな。姫さんにはそっちのラーメンスープじゃなくて、普段うちで使ってるそばつゆをわざと出したから」
「えっ」
 あずさは思わずスープが入った丼に視線を落とした。
 ネギや白ごまが浮かぶうすい醤油色をした鶏がらベースの液体にあずさが映っている。
「じゃあこのスープ、貴音ちゃんが怒ったから新しく作ったとかいうんじゃなくて、最初から作ってあったの?」
「そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」
 澄まし顔で貴音の口ぶりそっくりに権兵衛はセリフを真似る。
 声色まで変えて真似るものだから、目をつぶって声だけ聞くと、一緒に暮らしているあずさでさえ貴音が言ったのかと勘違いしそうになる。
「困った子。意地悪しないで貴音ちゃんにもちゃんとスープを出してあげればよかったのに」
「いいんだよ。もともと姉ちゃんだけに食わせるつもりで作ったんだから。狸を騙そうとするずるい尻巫女にはあれで十分さ」
「ぽん太郎ちゃん」
 口が過ぎる権兵衛を真正面に見据えて、一言、釘を刺す。
 落ち着いた低い声であるが、権兵衛をたじろがせるのに十分な威圧があった。
「ちぇっ。わかったよ、わかりました。今度、うちに姉ちゃんと一緒に来たら特別にちゃんとしたものをご提供させていただきますって。姫さんにもそう言っておいてくださいな」
「約束よ?」
「ああもう、俺も信用ねえな。ったく、つくづく姉ちゃんは姫さんに甘えんだから」
 捨て台詞を吐いて権兵衛は畳の上にごろんと横になった。
 見かけは大きな青年だが、こうして不貞腐れて狸寝入りしている姿は、あずさから見れば昔と全然変わらない小さな子狸のままだった。
 あずさは貴音の言葉を思い出した。

 ――さしずめ、百歳児、といったところでしょうか。

「百歳児、ね」
 権兵衛の性質を的確に言い表した言葉だとあずさは思う。
 くすくすと忍び笑いをしていると、つぶっていた権兵衛の片目が開いた。
「……何か言った?」
「ううん、なんでもない。白菜ねって、言ったのよ」
「白菜?」
「このラーメンを普通のラーメンみたいに温かいスープに入れて食べるなら、付け合せの具はゆでた白菜とか合いそうと思って。鶏がらのスープが優しい味をしているし」
「ふーん……。まあ、なんでも、いいですけれど」
 今度は千早の声色で、彼女の口癖を真似て。
 権兵衛は寝返りをうってあずさに背を向けると、ぼりぼりと尻をかいた。
「あらあら」
 あずさが先ほど貴音の肩を持ったのが権兵衛には面白くなかったらしい。
 いつの間にやら権兵衛の尻にひょっこり生えた大きなふさふさした狸のしっぽが、子どもが地団駄を踏むように不満げに畳をぺしぺし叩いている。
(これでも、ぽん太郎ちゃんにもずいぶん甘いつもりでいるのだけれど)
 上下に振れるしっぽを眺めながら、あずさは最後の麺をすすった。

 後日――
 信楽の品書きに新しいメニューが三品ほど追加された。
 煮卵や海苔の他に、ゆでた白菜と鶏のつくねを具に添えた『白菜ラーメン』。
 ざるそばの要領で冷たい鶏がらスープに浸けて食べる『鶏ざるラーメン』。
 そして、ラーメンスープの代わりに信楽のそばつゆで食す『姫ざるラーメン』である。
 約束通りあずさと二人っきり水入らずでラーメンを食べに来た貴音が、三品目の品書きを見るや冷たく微笑み、「これはどういうことでしょう?」と権兵衛を鋭く問いただしたのは言うまでもなく。権兵衛がそれに皮肉で答えると、すかさず貴音がその喧嘩を買い、逆に貴音が喧嘩を売れば権兵衛がこれを買うといった調子で、二人が軽口の応酬をし合うその横では、あずさが頬杖をついてため息を漏らし、独り頭を痛めていたのもまた言うまでもないことであった。
 仲裁を早々に諦めたあずさは丼をお盆に乗せて近くの木陰に避難すると、地表に出ているごつごつした太い木の根っこに腰を下ろした。
 屋台の向こうの遠くの山を見やると、屋台下の攻防を野次馬するかのように大きな入道雲が顔をのぞかせていて、周囲の町並みからは二人の喧騒に負けじと蝉たちが声を張り上げて夏を謳歌している。
「暑いわねえ……」
 あつあつのラーメンを膝に乗せるあずさは、汗一つかいていないのに辟易した様子で、誰に言うともなくつぶやいた。
 偶像町の熱い夏は、これから、始まる――。

                                         -- 終 --

                         072あずさ_偶像町_角印


- 関連風景 -
くろきつね〔NormalP作〕
 いたずら好きの《黒狐の娘》我那覇響が風を巻いて颯爽と初登場。
 町で知り合った雪歩・千早と共にひょんなことから信楽に訪れ、権兵衛と化け比べする物語。
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 権兵衛たち萩狸が暮らす《萩の原》での百鬼夜行の儀式に臨む雪歩の不安と決心を描いた物語。
冬の折、如月の頃〔百合根P作〕
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