2010.12.19 (Sun)
【アイマス紙芝居】聖夜前のこころのお洗濯
◆【手描きアイマス】たからものをあなたに。まごころを、きみに。
[備前焼P&弓削P/アイマス紙芝居/伊織・やよい・あずさ]
pixivでもブクマさせていただいた備前焼さんの心温まる縦長物語を弓削Pが動画化!
備前焼さんのぬくもりあるストーリーとやわらかで可愛いタッチの絵。
それらの魅力を動画という形で十二分に伝える弓削Pの編集技量とセンス。
ストーリーに沿った絵の動き、ページをめくったりスライドさせたりするシーンの切り替え、BGMとSE、弓削Pの作品によく見られるようなセリフの出し方などなど。
縦長物語の雰囲気そのままに動画ならではの楽しさも詰まっているこの物語を味あわないというのは、正直もったいない!
物語の内容を簡単に紹介すると、765幼稚園の園児である伊織とやよいがあずさ先生の提案でクリスマスの日に大切なものをお互いにプレゼントをするというお話です。
伊織がやよいにプレゼントするのは数多く持っているうさぎのぬいぐるみのうちの一匹、「さいありーず」。右目に垂らした前髪がちょっとキザなうさちゃんです。
一方のやよいが用意したのは、今までずーっと大事にとっておいた「いちばんだいじなの」。しかも、それを惜しみなく全部伊織にプレゼント。かわいいうさたんをプレゼントしてくれるいおいちゃんに対してできる、やよいなりの精一杯の気持ちでした。
この後、ふたりとも笑顔でめでたしめでたしとなればよいのですが……、雷が鳴って、雨が降り出してしまいました。
ふたりとも楽しみにしていた、ふたりだけのクリスマスプレゼント交換会。
雨が降れば地面も固まるし、晴れになれば
伊織とやよい。
ふたりが相手からプレゼントしてもらったものは、目に見えるうさちゃんたちだけではないのかもしれません。きっとそれは幼稚園を卒園した今もお互いにとって一番大切なたからものであるに違いありません。
そして、この物語に登場するもう一人のキャラクター、あずさ先生。
彼女の子どもへの接し方を見ていると、教えることにも叱ることにも相手への思いやりが必要なんだと気づかされます。「叱る」と「怒る」の違いはなんなのか。子どもに大切なことを教えることの難しさ。
この物語に再び触れて、そんなことを思いました。
目前にひかえた聖夜の前に、ちょっと心のお洗濯なんてDo-Dai?
話は少し変わって、備前焼さんの縦長アイマス物語といえば――
あずさスキーに是非おすすめしたい作品がひとつあります。
それはこちら。
タイトルはずばり『俺の嫁たちは七代先まで幸せであれ』。
読み返すたびに、あずささんは何十年たってもあずささんだなあとか、あずささんの遺伝子は優秀だなあとか、長生きせなあかんなあとか、そんなことを思います。
あと、お年をめしたあずささんつながりでこちらのPVもどうでしょう。
今年のあずささん誕生祭にアップされた赤ペンP&VAS-SPの作品です。
◆アイドルマスター あなたと出逢えて、うんと幸せ。
[赤ペンP&VAN-SP/PV/あずさ]
なんかもうね、赤ペンP×VAN-Sさん×あずささんの組み合わせは私的になんかズルいというか反則というかそういうものなんですが、マイリストと20選の一席を用意しておけと言われているのに等しいのであります。ええ、もちろんちゃんと用意してありますがなんくるないゼ。
幾年重ねても美しく、愛しい人よ。
今年はアイマス本陣とその周囲でさまざまあり、私もご多分に漏れず、悲喜こもごもやっておりましたが、このPVを見るにつけ「何年たっても変わらずにあずさスキーでありたいな」と思います。
心が風邪をひきかけたときに見る赤ペンPのPVはじんわり効きますわぁ。
▲[3:30-3:31]お気に入りのワンシーンです。
右からスッと入ってきて途中で減速してまた消える袴姿のあずささん。
この時、あずささんの顔は見えませんが、その分意識が体の動きに集中してくれる効果があり、このシーンのあずささんの体の動きにぐっときました。
あずささんを象徴する衣装としてミニウェディングがありますが、実はハカマグラデュエーションも短大を卒業したばかりのあずささんを象徴する衣装です。
そして、そんな衣装を着たあずささんがスッと横切るこのシーンはまるで、20才のあずささんがプロデューサーと共に“今”のこの瞬間を駆け抜けているのを象徴しているかのようでもあり……
あまり目立たないほんの一瞬のシーンですが、すごく味のある良シーンだと思います。
(´∀`) あっ。
('A`) どした?
(´∀`) 赤ペンPのPVじゃ幼稚園児のあずささんが先生に叱られてるカットがあったなーと。
('A`) お、そういえばあったな。備前焼Pの紙芝居とちょうど逆のパターンか。
(´∀`) 若干こじつけチックだけど面白い偶然だねえ。
('A`) だなあ。
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2010.01.28 (Thu)
【PV】DangerousよりJuicyに!
こんなにDL配信日が待ち遠しかったのは久しぶりです。
あずささんのオーバーマスターとパンゴシ来たわー!
◆【アイマスSP12号】パンキッシュゴシック あずさ 「オーバーマスター」
[ふーりP/ノーマルPV/あずさソロ]
あずささんの声質と歌い方からするに、オーバーマスターは公式曲の中でもあずささんにとっては歌いづらい曲だと思うんです。
あずささんといえば、持ち歌の9:02pmのようなしっとりとしたバラードを得意とする歌い手で、オーバーマスターやI Wantのような歌声を強めて張りを出すタイプの曲はどうしても不向きなんですよね。
もともとあずささんの声自体がちあキングには大きなリミッターをかけてるようなものですから、バリバリのオーバーマスターを歌おうとすると俗に言う「中身ダダ漏れ」になってしまうおそれがあるんです。もっとも、そこをいかにしてあずささんで歌い上げるかがプロとして求められるところなのでしょうけど。
でもまぁ心配するだけ無駄。杞憂キュキューでござんした。
あの難曲Mythmakerをあずささんで歌いきった実力は伊達ではなかった!
あずさ来来! あずさ来来!
I Wantに比べればまだあずささんに馴染むかもと思ってたけど、やっぱちあキングすげーっス。この曲でよくもまぁあずささんで歌えること歌えること。
さすがです、ちあキング。あずささんで歌った結果、妙に色っぽいオーバーマスターになってるけどなんくるないぜ!
◆【アイマスSP】 オーバーマスター
[ノーマルPV/トリオ(貴音C・雪歩・あずさ)]
貴音・雪歩・あずささん。なぜあずささんがたかゆきに混じってるのかちょっと不思議な気もするトリオユニット。道に迷ってしまったんでしょうかあずさささん。
センターが貴音なのは正解ですね。
雪歩やあずささんより声の強い貴音がセンターに立つことでうまくリードボーカルとして機能しています。アイドルたちの中でも雪歩とあずささんは声が柔らかく、オーバーマスターも癖のない歌い方をしているのでハモり&コーラスにうってつけ。サブボーカルに最適な人選です。
ところで、このトリオユニット。
雑誌の取材やジャケット撮影の時、センターに立つのはやっぱり雪歩でしょうか。
雪歩の両脇をあずささんと貴音が固め、高身長の二人に挟まれる形で可憐な雪歩がセンターに立つのが構図のバランスとして一番収まりがいい気がします。
ちょっと想像してみましょう――
うわ、大型犬に守られた小型犬の図がありありとw
あずささんが168cm、貴音が169cm、雪歩が154cmですもんね。身長差なんと15cm!
この三人にはぜひあの衣装を着せてみたいなァ。
あずささんと貴音にはポーリータキシード+ナイト帽子、雪歩にはライブフォーヴィーナス(orミニウェディング)で、プリンセスと護衛の女従士なんてDo-dai? 従士の一人がしょっちゅう行方不明になってプリンセスが穴掘って埋まってしまいそうですが。
あずささんのオーバーマスターとパンゴシ来たわー!
◆【アイマスSP12号】パンキッシュゴシック あずさ 「オーバーマスター」
[ふーりP/ノーマルPV/あずさソロ]
あずささんの声質と歌い方からするに、オーバーマスターは公式曲の中でもあずささんにとっては歌いづらい曲だと思うんです。
あずささんといえば、持ち歌の9:02pmのようなしっとりとしたバラードを得意とする歌い手で、オーバーマスターやI Wantのような歌声を強めて張りを出すタイプの曲はどうしても不向きなんですよね。
もともとあずささんの声自体がちあキングには大きなリミッターをかけてるようなものですから、バリバリのオーバーマスターを歌おうとすると俗に言う「中身ダダ漏れ」になってしまうおそれがあるんです。もっとも、そこをいかにしてあずささんで歌い上げるかがプロとして求められるところなのでしょうけど。
でもまぁ心配するだけ無駄。杞憂キュキューでござんした。
あの難曲Mythmakerをあずささんで歌いきった実力は伊達ではなかった!
あずさ来来! あずさ来来!
I Wantに比べればまだあずささんに馴染むかもと思ってたけど、やっぱちあキングすげーっス。この曲でよくもまぁあずささんで歌えること歌えること。
さすがです、ちあキング。あずささんで歌った結果、妙に色っぽいオーバーマスターになってるけどなんくるないぜ!
◆【アイマスSP】 オーバーマスター
[ノーマルPV/トリオ(貴音C・雪歩・あずさ)]
貴音・雪歩・あずささん。なぜあずささんがたかゆきに混じってるのかちょっと不思議な気もするトリオユニット。道に迷ってしまったんでしょうかあずさささん。
センターが貴音なのは正解ですね。
雪歩やあずささんより声の強い貴音がセンターに立つことでうまくリードボーカルとして機能しています。アイドルたちの中でも雪歩とあずささんは声が柔らかく、オーバーマスターも癖のない歌い方をしているのでハモり&コーラスにうってつけ。サブボーカルに最適な人選です。
ところで、このトリオユニット。
雑誌の取材やジャケット撮影の時、センターに立つのはやっぱり雪歩でしょうか。
雪歩の両脇をあずささんと貴音が固め、高身長の二人に挟まれる形で可憐な雪歩がセンターに立つのが構図のバランスとして一番収まりがいい気がします。
ちょっと想像してみましょう――
うわ、大型犬に守られた小型犬の図がありありとw
あずささんが168cm、貴音が169cm、雪歩が154cmですもんね。身長差なんと15cm!
この三人にはぜひあの衣装を着せてみたいなァ。
あずささんと貴音にはポーリータキシード+ナイト帽子、雪歩にはライブフォーヴィーナス(orミニウェディング)で、プリンセスと護衛の女従士なんてDo-dai? 従士の一人がしょっちゅう行方不明になってプリンセスが穴掘って埋まってしまいそうですが。
2010.01.26 (Tue)
【20選だべり03】 あなたに、愛をこめて花束を。 〔赤ペンP〕
◆アイドルマスター あなたに、愛をこめて花束を。
[赤ペンP/PV/あずさソロ]
この記事を書くにあたり、赤ペンPの過去作品を総復習しました。
そこでいくつか気がついたことがあります。
それは、「赤ペンPが手がけるあずささんのPVは基本的にソロPVである」ということと、「それらは大まかに分けて二つに分類できる」ということ。
赤ペンPのあずささんのPVは、次の2つに分けられます。
一つは、あずささんのステージをプロデュースした作品。
もう一つは、あずささんとPの関係を描いた作品です。
前者には、『Alright!!』,『euphoric field』,『限界LOVERS』,『STRAY CAT』,『恋一夜』があり、後者には、『まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。』,『One Moment In Time』,『ハナミズキ』,『望春風』,『woh woh』があります。今回20選に選んだ『あなたに、愛をこめて花束を。』(以下『花束を』)は、後者にあたる作品です。
言うまでもなく、アイドルマスターはアイドルとPの物語です。
無印版ではPと担当アイドルの1対1の関係を中心にストーリーが展開され、Pとアイドルの日常(営業・レッスン・オーディション)と日常の成果であるステージによってストーリーが構築されています。
赤ペンPの作品もこれと一緒です。
あずささんのPVは基本的にソロPV、つまりあずささんと1対1のPVであり、そのPVもPとあずささんとの関係を描いたPVとあずささんのステージPVとに分けられるのです。
このことからすると、ひょっとしたら赤ペンPは自身の作品をアイドルマスターの延長線上にあるものとして作品作りをなさっているのかもしれません。
また、後者に分類される赤ペンPの作品には一貫して共通するものがあります。
それは作品のもつ雰囲気。
暖かくて、優しくて、穏やかで、まっすぐで、気取らない。
この一貫した雰囲気はどこからくるのでしょうか?
しばし考えて――
思いついたのは、それはたぶん、赤ペンPのあずささんに対する「想い」。
「眼差し」と言い換えてもいいかもしれません。
そう、後者の作品たちからは、赤ペンPの眼差しを感じられるのです。
暖かくて、優しくて、穏やかで、まっすぐで、気取らない、あずささんを見つめる眼差し。
眼差しを感じるといってもそれは決して視聴の邪魔になるようなものではなくて、たしかにそこにあるのだけれどかなり控え目で、意識して感じとろうとしてようやく感じられるといった程度のもの。
喩えるならば、道すがらほのかに香る梅の花のようなものでしょうか。
その塩梅が私にはちょうどよくて、とても見心地がいい。
ぶっちゃけ、こういう作品に対しては、こまごまとした感想を言いたくないんです。
だってすっごく無粋でナンセンスなんですもの。私の感覚からすると。
例えば、小春日和の気持ちのいい日に散歩に出かけ、心がほっとするような景色とほのかに漂う梅の香りに出会ったとしましょう。その時、「この景色はこうでああだから美しい」とか「この梅の香りはなんたらかんたらの種類の梅でその香りはどう」とか、細かいことをいちいち切り出してあーだこーだと言いたくはないでしょう。ただシンプルに目の前の景色と梅の香りを楽しみ、「ああ、いい景色だ。いい香りだ」と感じ入るだけで十分じゃないですか。「GJ」の一言で言い足りるじゃないですか。
だから、今回の『花束を』に限らず、赤ペンPの後者に分類される作品たちは、個人的に感想が書きにくい作品だったりします。書くことに抵抗感やためらいみたいなものがあるんです。できることなら、『花束を』についても「素晴らしい作品でした。GJ!」で済ませられるなら済ませたいんです本当は。さすがにそれもどうかと思うのでやりませんけども。
しかし、今回は書くと決めた以上、そういう抵抗感やらためらいやらは遠くへ放り投げ、筆が走るままに思うことをつらつらと書かせていただきます。
で、ここからが本題なのですが。
『花束を』についての感想を書く前に、この機会にいくつか語っておきたい赤ペンPの作品(いずれも後者に分類される作品)がありますので、まずはそちらの感想からやってしまって、その後に『花束を』の感想を書きたいと思います。長くなりますがどうかお付き合いのほどを。
01.アイドルマスター あずさ&?????「woh woh」
さだまさしさんが歌う『woh woh』にあずささんのコミュ映像を合わせた非常にシンプルな作りの作品です。2007年の年の暮れにうpされたことを踏まえると、2007年のあずささんとの歩みを振り返って的な意味も込められた作品なのかもしれません。
改めてこの作品を見返してみて思ったのは、この作品は、もしかしたら赤ペンPの原点ともいうべき作品なのではないでしょうか。
というのも、先ほど非常にシンプルな作りの作品だと言いましたが、シンプルであるがゆえに『woh woh』の歌詞に託したあずささんへの想いと、さだまさしさんの歌声に込めたあずささんへの感情とが、ありのままにストレートに伝わってくるんです。
歌詞はそのまま赤ペンPの言葉であり、歌声の情感はそのまま赤ペンPの心情で。
飾らず、ただひたむきに。
無防備だと思うくらい、あずささんを想う心をさらけだして表している。
後者に分類される作品からは赤ペンPの眼差しを感じると言いました。
この『woh woh』という作品こそ、まさにその最たる例です。
「息を とめて 君を見つめてる」
この歌詞にそのすべてが表されていると思います。
あずささんを想うPの心を歌うこの作品は、赤ペンPの眼差しそのものを作品にしたものだと言っても過言ではないでしょう。『woh woh』の後もあずささんとPの関係を描いた作品がうpされていますが、この作品ほどストレートに眼差しを感じさせる作品はありません。
そういった意味で、赤ペンPの出発点はこの作品にあり、他の作品の根っこもその源を辿ってゆくとすべてはこの作品につながっているのではないでしょうか。
02.アイドルマスター まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。
「ひまわり」という歌は、大切な“あなた”を失った一人の女性の歌です。
あなたがいなくなった後も、あなたがひまわりを指さして言った「あんな風に咲けよ」という言葉を胸に、ひまわりのように背を伸ばして前だけを見つめ、力の限り明るく生きてゆこうとする女性の歌です。
3A07を見た人なら、だいたいの人はこう思うでしょう。
「これって3A07のリスペクトPVなのかな?」と。
かく言う私もそう思いました。
『まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。』(以下『ひまわり』)は、3A07のあずささんのその後を描いたアフターストーリーPVなのではないかと。
うp時期が比較的近く(3A07=11/23,ひまわり=12/27)、『ひまわり』の歌詞が3A07の物語とあまりにもドンピシャリな内容だったためです。
PVを視聴後、そんなことを記事に書こうと思ったのですが、ふと何か心に引っかかるものを感じまして、しばらく悩んだ結果、記事にするのをやめました。
まず何に引っかかったのかというと、『まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。』というPVのタイトルに引っかかりました。まっさんというのはさだまさしさん、綾香さんというのは平原綾香さんのことで、実はこのタイトル、赤ペンPの作品のなかでもかなり異色なタイトルだったりします。
アーティストの名前がPVタイトルに組み込まれているのはこの作品が初めてなんです。それまでにも動画の表題にアーティスト名が表記されることはあったのですが、この作品みたいにPVのタイトルになったものは今までありませんでした。
タイトルの次に引っかかったのは再生時間。
なんとメドレーでもないのに、7分40秒!
単発PVにしては異例の長さなわけで、視聴者をびびらせ二の足を踏ませるには十分な時間です。20分越え余裕な架空戦記やノベマスに慣れているあずさスキーの私でさえ、この再生時間の長さには正直視聴をためらいました。やはりPVの5分越えや7分越えは、架空戦記やノベマスのそれとは別な何かがあります。
もちろん、2007年からPVをうpし続けている赤ペンPが、そのような視聴上の不利を知らないはずがありません。視聴者に敬遠される不利を考慮してもなお表現したいものが赤ペンPにはあったのだと思います。
そして、最後の引っかかりポイントは投稿者コメント。仮に、この作品が3A07をリスペクトしたものであったならば、一言でも3A07に触れていてもよさそうなものですが、投稿者コメントには何も書かれていません。やはり3A07とは区別して視聴するのが正しいのでしょう。
異例なタイトル表記。長尺の再生時間。投稿者コメント。
これらのことを総合考量してみると、何やら赤ペンPの「叫び」みたいなものが聞こえてくるような気がします。
けれど、これは全く根拠のない憶測ですが、リスペクトPVかどうかはさておくとしても、3A07と完全に無関係な作品ではないんじゃないかなと思います。
私のなかでは、赤ペンPはあずささんの隣にあってあずささんと共に歩んでゆくというスタンスで作品を作るPさんというイメージがあって、この『ひまわり』のようにPがあずささんの手の届かない場所へ行ってしまう作品は赤ペンPの作品ではかなり異色な存在に見えます。
そうした異色な作品を作るきっかけになったのは何なのか。それはやはり他ならぬ3A07であり、その意味において3A07の影響を受けて作成されたPVなのではないかと考えます。
さてさて。
この作品について感想を書くのは、私にとってかなりの難題です。
3A07と『ひまわり』は本来別の作品ですから、それぞれのPたちの意思や赤ペンPの叫びを考えるならば、両者をきっちり立て分けて感想を書くべきなのではないだろうか。真面目でいい子ちゃんなむらたまAは私にそんなことを諭します。
一方で、自己中心的でワガママなむらたまBはこんなことを囁きます。
「お前、カレーは好きか?」
――はい、大好きです。
「トンカツは好きか?」
――はい、三食余裕でいけます。
「なら、カレーとトンカツ合体させたら最強じゃね?」
仰るとおりですとも!!
『3A07』→『隣に… 3A07edition』→『ひまわり』とかウマウマに決まってるだろうが! 合わないわけがない! 美味さをもっと極めるなら3A07本編の前に『3A07トレーラー』も前菜に加えたい! 嘘だと思うなら一度食ってみろってな話ですよ!
ええ、とどのつまり。
わたくし外道食いが割と好きでして。
カツカレーとかチョ→大好物でして。
外道食いなどという暴挙は、別々に料理を作ったコックさんたちからすれば噴飯ものであることは承知しておりますし、分別あるブロガーであるならばちゃんとそこを配慮して記事を書くべきなのでしょう。
だがしかし。
私の素直な感想は何かというとまさしく外道食いな感想でして、コックさんたちに配慮した感想は所詮後から成形したヨソ行きの感想にすぎないわけで、そんな記事は書いても読んでも面白くないのです。
なので、大変恐縮ではありますが、ここからは外道食い前提の感想になります。
外道食いなどもってのほかと思われる方は、次の『One Moment In Time』の部分までさくっと飛ばしてやってくださいませ。
前フリが長くなりました。『ひまわり』の感想です。
▲開幕しょっぱなの[0:01~0:08]の時点でグッと来てしまいました。
あずささんが目の前を横切って歩いていく、ただそれだけのシーン。
ただそれだけのシーンのはずなんですが…、私の弱いとこをついてくるんです。
明るい陽がさす並木道と、少しぼやけた柔らかな色合い。
たまてぃPの『もっと遠くへ』以来、あずささんが歩いているだけで胸にグッと来てるようになってしまったパブロフの犬むらたまには、これはもう卑怯。
▲続く[0:10~0:14]も胸を打たれる場面です。
左から右へ左手を払うところではバストをアップに映して、それから入れ替わるようにあずささんの表情をアップで映す。この時のあずささんの遠くを見つめる凛とした表情がいいですね。
背景の青空と流れ行く白雲もこの作品の清々しさと広がりを感じさせてくれます。
▲[0:20~]ここのシーンではとくに歌詞に傾注。
「人は誰も 心に 花の種を」
「抱いて生きているんだよと」
「あなたの口癖や声の響きが」
「このごろとても恋しい」
「人は誰も心に花の種を抱いて生きている」というフレーズは、「ひまわり」という歌のテーマであり始まりであり、歌詞のなかの女性にとって“起”となる言葉です。
私が初めてこのPVでこの歌を聴いた時、一番耳に残ったのもこのフレーズでした。
この歌詞の後、「夢を見て咲いているのなら 菫」「密やかに咲くのなら 野菊」「人を傷つけてしまう 紅い薔薇」「散ってゆくのなら 桜」と、人の生き様や心のあり様を花に見立てた喩えが続きます。
そして、[1:16]。
▲PV冒頭であずささんが歩いていた並木道。
並木道と過去の思い出を抜けた先にあったのは、広い草原と一輪の花。
あずささんが見つめる先に咲いているのは……
あずささんは歌います。
「それから私に あんな風に咲けよと」
「指さした花は 一輪 のひまわり」と。
ひまわりですよ、ひまわり!
3A07の記憶がまだ新しかった私はここで堤が決壊。
「なんちゅうもんを作ってくれるんや…、赤ペンPは…!」
アタイ、しばしリアル悶絶。
一瞬にして3A07のあずささんとPの姿がフラッシュバックし、外道食いな視聴はまさにこの瞬間から始まりました。
…まぁ、3A07のひまわりはP自身のことであずささんはPの太陽なので、厳密にいうと、あずささんがひまわりのような生き方をしたいと願う『ひまわり』の世界とは微妙にズレるんですが、アタイの歪んだ妄想力の前ではなんくるねーのです。Pが自分のことを喩えたひまわりのように私も生きたいとあずささんが願ったとしても別におかしな話じゃねーのです。なんくるねーのです。
もうこの際だから、開き直って言わせていただきますけれども。
この歌詞とこのPVの演出で、3A07と切り離して視聴しろなんていうのは、到底無理かつ至極無茶な注文でございまして、それこそ3A07の記憶をきれいさっぱり消されない限りそんな神業は不可能に等しいのごぜえますよ、お代官様!
3A07と脳内リンクした結果、『ひまわり』のあずささん=3A07後のあずささん、『ひまわり』のあなた=3A07のP、になってしまってもそれはもう不可抗力ってもんでしょう。私に罪はないのです。
で、ここでちょっと思い出していただきたいのが、さっきも触れたこの歌詞。
「人は誰も心に花の種を抱いて生きているんだよと」
なんかこの歌詞のセリフ、アレですよね。
3A07のPならいかにもこんなセリフ言いそうですよね。
あの照れ屋で遠回しなイケメン好青年Pのこと、仕事で失敗して落ち込むあずささんを励まそうと、スーツの内ポケットからひまわりの種を取り出し手渡して、「あずささん、人は誰もが心に花の種を抱いて生きているんです」とか言って、すかさずりっちゃんから「プロデューサーはハムスターですか!」とつっこまれるところまで光の速さで妄想完了したわアタイ!
うるせえよ。> ('A`)
▲[2:55~2:57]。今までの明るさから一転。
悲しげなあずささんの表情が連続してポン・ポン・ポンと挿入され、それまでの雰囲気とは違う展開がこれから始まることを暗に予感させられます。
▲[2:58]。予感を裏付けるように暗い事務所にたたずむあずささん。
あなたがいない事務所でつぶやくのは、あなたに誓ったあの約束。
「いつまでもあなたを愛していると」
「あの日約束したでしょう」
この歌詞から思い浮かべるのは3A07のあの場面。
フタリの記憶を作詞し、その詞通りにずっと空から見守ってくれているPのもとへ、ハートマークの「3A07」にすべての想いを託し、「届け、届け」と、愛のことばを風に乗せて送り出す、3A07屈指の名場面。
あの時、3A07のカードを空へ送ったあずささんの行為は、愛の告白を現実にPに伝えるための行為であると同時に、「いつまでも愛しています」とPに約束するための行為だったのかもしれません。それはあたかも結婚式で永遠の愛を誓いあう契りのように。
そのことに気がついたのは、『ひまわり』のこの歌詞を聞いてからでした。
そして、歌詞は続きます。
「はるかな時の流れを越えてまだ」
「約束を守っています」
うっ。
ここまでくるといつも限界いっぱいいっぱいになっちゃいます。
でも、ここでしんみりするのはまだ早い。そう言わざるを得ません。
歌詞の怒涛のラッシュはここからです。
▲[3:53~4:19]
「鳥よ あの人に 出会ったら伝えてよ」
「ひまわりの様に 私は生きていると」
▲[5:51~6:21]
「背すじを伸ばして あなただけをみつめ」
「約束どおりに 明るく咲いている」
(´;ω;`)あずささん……
えーっと、想定していた以上に『ひまわり』の感想が長くなっています。皆様いかがお過ごしでしょうか。私はちょっぴりしなしなモヤシです。力尽きようとしています。がんばれアタイがんばれアタイ。
どうしてもしゃべっておきたいシーンがもう一つだけ残っていますので、そのシーンに触れてから一旦この記事を〆たいと思います。
で、どうしても語っておかねばならないのは[6:22]以降のシーンでして。
歌が終わり、曲が収束へ向かっていくラストシーンです。
あずささんがいたのは草原ではなくどうやらひまわり畑だったようで。
地平線の向こう側まで広がるひまわり、ひまわり、ひまわり。
たくさんのひまわりのなかで、あずささんだけが浮かぬ顔。
大切なあの人のことを思い出し悲しくなってしまったのでしょうか。
写真のあずささんたちもモノクロで、悲しげな表情をしています。
しかし、その悲しみも一時のもの。
あの人と約束した通り、ひまわりにも負けない笑顔を取り戻します。
日常風景のあずささんたちにも明るい笑顔が戻りました。
訪問時間の終わりを告げるように曲もついにフェードアウト。
あずささんも踵を返し、ひまわり畑を後にします。
次にここを訪れるのは一年後の夏。それまで、あずささんは日常の風景のなかで、あの人に教えてもらった自分の中にあるひまわりの種を大切に育み、ひまわりとして明るく精一杯生きてゆくのでしょう。また訪問する時、ひまわりを咲かせた自分を見てもらうために……
あずささんの背中を見送るひまわりたちもかすかに風に揺れ、あずささんにエールを送っているかのよう。
この一番最後のラストシーンを見た時、3A07のあのシーンがよぎりました。
(´;ω;`)ぶわっ
<続く!>
★スクリーンショット・アルバム
『ひまわり』はとっても絵になるシーンが盛り沢山で、スクショをバンバン撮りまくっていたのですが、さすがに全部を記事にすることはできなかったので、その一部をアルバムとして掲載いたします。
やっぱり赤ペンPはあずささんの見逃しやすい良い表情を取り出すがうまい。
[赤ペンP/PV/あずさソロ]
この記事を書くにあたり、赤ペンPの過去作品を総復習しました。
そこでいくつか気がついたことがあります。
それは、「赤ペンPが手がけるあずささんのPVは基本的にソロPVである」ということと、「それらは大まかに分けて二つに分類できる」ということ。
赤ペンPのあずささんのPVは、次の2つに分けられます。
一つは、あずささんのステージをプロデュースした作品。
もう一つは、あずささんとPの関係を描いた作品です。
前者には、『Alright!!』,『euphoric field』,『限界LOVERS』,『STRAY CAT』,『恋一夜』があり、後者には、『まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。』,『One Moment In Time』,『ハナミズキ』,『望春風』,『woh woh』があります。今回20選に選んだ『あなたに、愛をこめて花束を。』(以下『花束を』)は、後者にあたる作品です。
言うまでもなく、アイドルマスターはアイドルとPの物語です。
無印版ではPと担当アイドルの1対1の関係を中心にストーリーが展開され、Pとアイドルの日常(営業・レッスン・オーディション)と日常の成果であるステージによってストーリーが構築されています。
赤ペンPの作品もこれと一緒です。
あずささんのPVは基本的にソロPV、つまりあずささんと1対1のPVであり、そのPVもPとあずささんとの関係を描いたPVとあずささんのステージPVとに分けられるのです。
このことからすると、ひょっとしたら赤ペンPは自身の作品をアイドルマスターの延長線上にあるものとして作品作りをなさっているのかもしれません。
また、後者に分類される赤ペンPの作品には一貫して共通するものがあります。
それは作品のもつ雰囲気。
暖かくて、優しくて、穏やかで、まっすぐで、気取らない。
この一貫した雰囲気はどこからくるのでしょうか?
しばし考えて――
思いついたのは、それはたぶん、赤ペンPのあずささんに対する「想い」。
「眼差し」と言い換えてもいいかもしれません。
そう、後者の作品たちからは、赤ペンPの眼差しを感じられるのです。
暖かくて、優しくて、穏やかで、まっすぐで、気取らない、あずささんを見つめる眼差し。
眼差しを感じるといってもそれは決して視聴の邪魔になるようなものではなくて、たしかにそこにあるのだけれどかなり控え目で、意識して感じとろうとしてようやく感じられるといった程度のもの。
喩えるならば、道すがらほのかに香る梅の花のようなものでしょうか。
その塩梅が私にはちょうどよくて、とても見心地がいい。
ぶっちゃけ、こういう作品に対しては、こまごまとした感想を言いたくないんです。
だってすっごく無粋でナンセンスなんですもの。私の感覚からすると。
例えば、小春日和の気持ちのいい日に散歩に出かけ、心がほっとするような景色とほのかに漂う梅の香りに出会ったとしましょう。その時、「この景色はこうでああだから美しい」とか「この梅の香りはなんたらかんたらの種類の梅でその香りはどう」とか、細かいことをいちいち切り出してあーだこーだと言いたくはないでしょう。ただシンプルに目の前の景色と梅の香りを楽しみ、「ああ、いい景色だ。いい香りだ」と感じ入るだけで十分じゃないですか。「GJ」の一言で言い足りるじゃないですか。
だから、今回の『花束を』に限らず、赤ペンPの後者に分類される作品たちは、個人的に感想が書きにくい作品だったりします。書くことに抵抗感やためらいみたいなものがあるんです。できることなら、『花束を』についても「素晴らしい作品でした。GJ!」で済ませられるなら済ませたいんです本当は。さすがにそれもどうかと思うのでやりませんけども。
しかし、今回は書くと決めた以上、そういう抵抗感やらためらいやらは遠くへ放り投げ、筆が走るままに思うことをつらつらと書かせていただきます。
で、ここからが本題なのですが。
『花束を』についての感想を書く前に、この機会にいくつか語っておきたい赤ペンPの作品(いずれも後者に分類される作品)がありますので、まずはそちらの感想からやってしまって、その後に『花束を』の感想を書きたいと思います。長くなりますがどうかお付き合いのほどを。
01.アイドルマスター あずさ&?????「woh woh」
さだまさしさんが歌う『woh woh』にあずささんのコミュ映像を合わせた非常にシンプルな作りの作品です。2007年の年の暮れにうpされたことを踏まえると、2007年のあずささんとの歩みを振り返って的な意味も込められた作品なのかもしれません。
改めてこの作品を見返してみて思ったのは、この作品は、もしかしたら赤ペンPの原点ともいうべき作品なのではないでしょうか。
というのも、先ほど非常にシンプルな作りの作品だと言いましたが、シンプルであるがゆえに『woh woh』の歌詞に託したあずささんへの想いと、さだまさしさんの歌声に込めたあずささんへの感情とが、ありのままにストレートに伝わってくるんです。
歌詞はそのまま赤ペンPの言葉であり、歌声の情感はそのまま赤ペンPの心情で。
飾らず、ただひたむきに。
無防備だと思うくらい、あずささんを想う心をさらけだして表している。
後者に分類される作品からは赤ペンPの眼差しを感じると言いました。
この『woh woh』という作品こそ、まさにその最たる例です。
「息を とめて 君を見つめてる」
この歌詞にそのすべてが表されていると思います。
あずささんを想うPの心を歌うこの作品は、赤ペンPの眼差しそのものを作品にしたものだと言っても過言ではないでしょう。『woh woh』の後もあずささんとPの関係を描いた作品がうpされていますが、この作品ほどストレートに眼差しを感じさせる作品はありません。
そういった意味で、赤ペンPの出発点はこの作品にあり、他の作品の根っこもその源を辿ってゆくとすべてはこの作品につながっているのではないでしょうか。
02.アイドルマスター まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。
「ひまわり」という歌は、大切な“あなた”を失った一人の女性の歌です。
あなたがいなくなった後も、あなたがひまわりを指さして言った「あんな風に咲けよ」という言葉を胸に、ひまわりのように背を伸ばして前だけを見つめ、力の限り明るく生きてゆこうとする女性の歌です。
3A07を見た人なら、だいたいの人はこう思うでしょう。
「これって3A07のリスペクトPVなのかな?」と。
かく言う私もそう思いました。
『まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。』(以下『ひまわり』)は、3A07のあずささんのその後を描いたアフターストーリーPVなのではないかと。
うp時期が比較的近く(3A07=11/23,ひまわり=12/27)、『ひまわり』の歌詞が3A07の物語とあまりにもドンピシャリな内容だったためです。
PVを視聴後、そんなことを記事に書こうと思ったのですが、ふと何か心に引っかかるものを感じまして、しばらく悩んだ結果、記事にするのをやめました。
まず何に引っかかったのかというと、『まっさんと、あずささんと、綾香さんと、ひまわり。』というPVのタイトルに引っかかりました。まっさんというのはさだまさしさん、綾香さんというのは平原綾香さんのことで、実はこのタイトル、赤ペンPの作品のなかでもかなり異色なタイトルだったりします。
アーティストの名前がPVタイトルに組み込まれているのはこの作品が初めてなんです。それまでにも動画の表題にアーティスト名が表記されることはあったのですが、この作品みたいにPVのタイトルになったものは今までありませんでした。
タイトルの次に引っかかったのは再生時間。
なんとメドレーでもないのに、7分40秒!
単発PVにしては異例の長さなわけで、視聴者をびびらせ二の足を踏ませるには十分な時間です。20分越え余裕な架空戦記やノベマスに慣れているあずさスキーの私でさえ、この再生時間の長さには正直視聴をためらいました。やはりPVの5分越えや7分越えは、架空戦記やノベマスのそれとは別な何かがあります。
もちろん、2007年からPVをうpし続けている赤ペンPが、そのような視聴上の不利を知らないはずがありません。視聴者に敬遠される不利を考慮してもなお表現したいものが赤ペンPにはあったのだと思います。
そして、最後の引っかかりポイントは投稿者コメント。仮に、この作品が3A07をリスペクトしたものであったならば、一言でも3A07に触れていてもよさそうなものですが、投稿者コメントには何も書かれていません。やはり3A07とは区別して視聴するのが正しいのでしょう。
異例なタイトル表記。長尺の再生時間。投稿者コメント。
これらのことを総合考量してみると、何やら赤ペンPの「叫び」みたいなものが聞こえてくるような気がします。
けれど、これは全く根拠のない憶測ですが、リスペクトPVかどうかはさておくとしても、3A07と完全に無関係な作品ではないんじゃないかなと思います。
私のなかでは、赤ペンPはあずささんの隣にあってあずささんと共に歩んでゆくというスタンスで作品を作るPさんというイメージがあって、この『ひまわり』のようにPがあずささんの手の届かない場所へ行ってしまう作品は赤ペンPの作品ではかなり異色な存在に見えます。
そうした異色な作品を作るきっかけになったのは何なのか。それはやはり他ならぬ3A07であり、その意味において3A07の影響を受けて作成されたPVなのではないかと考えます。
さてさて。
この作品について感想を書くのは、私にとってかなりの難題です。
3A07と『ひまわり』は本来別の作品ですから、それぞれのPたちの意思や赤ペンPの叫びを考えるならば、両者をきっちり立て分けて感想を書くべきなのではないだろうか。真面目でいい子ちゃんなむらたまAは私にそんなことを諭します。
一方で、自己中心的でワガママなむらたまBはこんなことを囁きます。
「お前、カレーは好きか?」
――はい、大好きです。
「トンカツは好きか?」
――はい、三食余裕でいけます。
「なら、カレーとトンカツ合体させたら最強じゃね?」
仰るとおりですとも!!
『3A07』→『隣に… 3A07edition』→『ひまわり』とかウマウマに決まってるだろうが! 合わないわけがない! 美味さをもっと極めるなら3A07本編の前に『3A07トレーラー』も前菜に加えたい! 嘘だと思うなら一度食ってみろってな話ですよ!
ええ、とどのつまり。
わたくし外道食いが割と好きでして。
カツカレーとかチョ→大好物でして。
外道食いなどという暴挙は、別々に料理を作ったコックさんたちからすれば噴飯ものであることは承知しておりますし、分別あるブロガーであるならばちゃんとそこを配慮して記事を書くべきなのでしょう。
だがしかし。
私の素直な感想は何かというとまさしく外道食いな感想でして、コックさんたちに配慮した感想は所詮後から成形したヨソ行きの感想にすぎないわけで、そんな記事は書いても読んでも面白くないのです。
なので、大変恐縮ではありますが、ここからは外道食い前提の感想になります。
外道食いなどもってのほかと思われる方は、次の『One Moment In Time』の部分までさくっと飛ばしてやってくださいませ。
前フリが長くなりました。『ひまわり』の感想です。
▲開幕しょっぱなの[0:01~0:08]の時点でグッと来てしまいました。
あずささんが目の前を横切って歩いていく、ただそれだけのシーン。
ただそれだけのシーンのはずなんですが…、私の弱いとこをついてくるんです。
明るい陽がさす並木道と、少しぼやけた柔らかな色合い。
たまてぃPの『もっと遠くへ』以来、あずささんが歩いているだけで胸にグッと来てるようになってしまったパブロフの犬むらたまには、これはもう卑怯。
▲続く[0:10~0:14]も胸を打たれる場面です。
左から右へ左手を払うところではバストをアップに映して、それから入れ替わるようにあずささんの表情をアップで映す。この時のあずささんの遠くを見つめる凛とした表情がいいですね。
背景の青空と流れ行く白雲もこの作品の清々しさと広がりを感じさせてくれます。
▲[0:20~]ここのシーンではとくに歌詞に傾注。
「人は誰も 心に 花の種を」
「抱いて生きているんだよと」
「あなたの口癖や声の響きが」
「このごろとても恋しい」
「人は誰も心に花の種を抱いて生きている」というフレーズは、「ひまわり」という歌のテーマであり始まりであり、歌詞のなかの女性にとって“起”となる言葉です。
私が初めてこのPVでこの歌を聴いた時、一番耳に残ったのもこのフレーズでした。
この歌詞の後、「夢を見て咲いているのなら 菫」「密やかに咲くのなら 野菊」「人を傷つけてしまう 紅い薔薇」「散ってゆくのなら 桜」と、人の生き様や心のあり様を花に見立てた喩えが続きます。
そして、[1:16]。
▲PV冒頭であずささんが歩いていた並木道。
並木道と過去の思い出を抜けた先にあったのは、広い草原と一輪の花。
あずささんが見つめる先に咲いているのは……
あずささんは歌います。
「それから私に あんな風に咲けよと」
「指さした花は 一輪 のひまわり」と。
ひまわりですよ、ひまわり!
3A07の記憶がまだ新しかった私はここで堤が決壊。
「なんちゅうもんを作ってくれるんや…、赤ペンPは…!」
アタイ、しばしリアル悶絶。
一瞬にして3A07のあずささんとPの姿がフラッシュバックし、外道食いな視聴はまさにこの瞬間から始まりました。
…まぁ、3A07のひまわりはP自身のことであずささんはPの太陽なので、厳密にいうと、あずささんがひまわりのような生き方をしたいと願う『ひまわり』の世界とは微妙にズレるんですが、アタイの歪んだ妄想力の前ではなんくるねーのです。Pが自分のことを喩えたひまわりのように私も生きたいとあずささんが願ったとしても別におかしな話じゃねーのです。なんくるねーのです。
もうこの際だから、開き直って言わせていただきますけれども。
この歌詞とこのPVの演出で、3A07と切り離して視聴しろなんていうのは、到底無理かつ至極無茶な注文でございまして、それこそ3A07の記憶をきれいさっぱり消されない限りそんな神業は不可能に等しいのごぜえますよ、お代官様!
3A07と脳内リンクした結果、『ひまわり』のあずささん=3A07後のあずささん、『ひまわり』のあなた=3A07のP、になってしまってもそれはもう不可抗力ってもんでしょう。私に罪はないのです。
で、ここでちょっと思い出していただきたいのが、さっきも触れたこの歌詞。
「人は誰も心に花の種を抱いて生きているんだよと」
なんかこの歌詞のセリフ、アレですよね。
3A07のPならいかにもこんなセリフ言いそうですよね。
あの照れ屋で遠回しなイケメン好青年Pのこと、仕事で失敗して落ち込むあずささんを励まそうと、スーツの内ポケットからひまわりの種を取り出し手渡して、「あずささん、人は誰もが心に花の種を抱いて生きているんです」とか言って、すかさずりっちゃんから「プロデューサーはハムスターですか!」とつっこまれるところまで光の速さで妄想完了したわアタイ!
うるせえよ。> ('A`)
▲[2:55~2:57]。今までの明るさから一転。
悲しげなあずささんの表情が連続してポン・ポン・ポンと挿入され、それまでの雰囲気とは違う展開がこれから始まることを暗に予感させられます。
▲[2:58]。予感を裏付けるように暗い事務所にたたずむあずささん。
あなたがいない事務所でつぶやくのは、あなたに誓ったあの約束。
「いつまでもあなたを愛していると」
「あの日約束したでしょう」
この歌詞から思い浮かべるのは3A07のあの場面。
フタリの記憶を作詞し、その詞通りにずっと空から見守ってくれているPのもとへ、ハートマークの「3A07」にすべての想いを託し、「届け、届け」と、愛のことばを風に乗せて送り出す、3A07屈指の名場面。
あの時、3A07のカードを空へ送ったあずささんの行為は、愛の告白を現実にPに伝えるための行為であると同時に、「いつまでも愛しています」とPに約束するための行為だったのかもしれません。それはあたかも結婚式で永遠の愛を誓いあう契りのように。
そのことに気がついたのは、『ひまわり』のこの歌詞を聞いてからでした。
そして、歌詞は続きます。
「はるかな時の流れを越えてまだ」
「約束を守っています」
うっ。
ここまでくるといつも限界いっぱいいっぱいになっちゃいます。
でも、ここでしんみりするのはまだ早い。そう言わざるを得ません。
歌詞の怒涛のラッシュはここからです。
▲[3:53~4:19]
「鳥よ あの人に 出会ったら伝えてよ」
「ひまわりの様に 私は生きていると」
▲[5:51~6:21]
「背すじを伸ばして あなただけをみつめ」
「約束どおりに 明るく咲いている」
(´;ω;`)あずささん……
えーっと、想定していた以上に『ひまわり』の感想が長くなっています。皆様いかがお過ごしでしょうか。私はちょっぴりしなしなモヤシです。力尽きようとしています。がんばれアタイがんばれアタイ。
どうしてもしゃべっておきたいシーンがもう一つだけ残っていますので、そのシーンに触れてから一旦この記事を〆たいと思います。
で、どうしても語っておかねばならないのは[6:22]以降のシーンでして。
歌が終わり、曲が収束へ向かっていくラストシーンです。
あずささんがいたのは草原ではなくどうやらひまわり畑だったようで。
地平線の向こう側まで広がるひまわり、ひまわり、ひまわり。
たくさんのひまわりのなかで、あずささんだけが浮かぬ顔。
大切なあの人のことを思い出し悲しくなってしまったのでしょうか。
写真のあずささんたちもモノクロで、悲しげな表情をしています。
しかし、その悲しみも一時のもの。
あの人と約束した通り、ひまわりにも負けない笑顔を取り戻します。
日常風景のあずささんたちにも明るい笑顔が戻りました。
訪問時間の終わりを告げるように曲もついにフェードアウト。
あずささんも踵を返し、ひまわり畑を後にします。
次にここを訪れるのは一年後の夏。それまで、あずささんは日常の風景のなかで、あの人に教えてもらった自分の中にあるひまわりの種を大切に育み、ひまわりとして明るく精一杯生きてゆくのでしょう。また訪問する時、ひまわりを咲かせた自分を見てもらうために……
あずささんの背中を見送るひまわりたちもかすかに風に揺れ、あずささんにエールを送っているかのよう。
この一番最後のラストシーンを見た時、3A07のあのシーンがよぎりました。
(´;ω;`)ぶわっ
<続く!>
★スクリーンショット・アルバム
『ひまわり』はとっても絵になるシーンが盛り沢山で、スクショをバンバン撮りまくっていたのですが、さすがに全部を記事にすることはできなかったので、その一部をアルバムとして掲載いたします。
やっぱり赤ペンPはあずささんの見逃しやすい良い表情を取り出すがうまい。
2010.01.23 (Sat)
【20選だべり02】 にとり 〔あきのじP〕
◆アイドルマスター 「にとり」(short)
[あきのじP/PV/東方m@ster/あずさソロ]
好きでして。
こんこんと湧き出でる岩清水のように好きでして。
喩えがよくわかりませんがとにかく好きでして。
今回の20選で得た一番の収穫は、この作品と出会えたことでした。
使用楽曲は東方アレンジボーカル曲の「にとり」。
物悲しき和のメロディーを弾く琴の音が心の奥をくすぐり、和楽器のような哀愁の響を紡ぎだすボーカルが耳に心地よい。
歌曲の緩やかな調べをなぞるかのようにゆるりゆるりと舞うあずささん。
その様は、水面に浮かぶ花弁か紅葉のよう。
しみじみとした味わいがたまらない作品です。
好みの曲に乗せて、大好きなあずささんが雰囲気たっぷりに舞う。
たったそれだけのことなのになぜこんなにも私の心に染み入ってくるのでしょう。
衣装のハカマグラデュエーションもいいですね。
もともとあずささんの袴姿は大好きでしたが、この作品でのハカマグラデュエーションはビジュアルが和風な曲の雰囲気にマッチしているだけではなく、袖の翻りや袴の揺れなど、ゆったりとした衣装の動きもまた曲調に合っていて作品の雰囲気作りに一役買ってるんじゃないかなと思います。
では、お気に入りのシーンをピックアップしてみましょう。
まずは[0:17]のシーン。
原曲「芥川龍之介の河童 ~ Candid Friend」をテーマソングとするのは河童の少女河城にとり。揺れ動く背景の水面と水底から立ち昇る水泡のエフェクトは、水と切っても切り離せない河童の彼女を想起させます。
また、あずささんの舞の振り付けも、とても丁寧な印象。
「重ねる強き願い」の「願い」のところで手を重ね合わせ頷き、そっと瞳を閉じる。その動作はとても印象的で、序盤の見せ場としてうまくメロへとつないでいると思います。それから口の動きにも要注目。ここぞとばかりに口の動きまで歌詞にぴたりと合わせてきます。
[0:43~1:00]。モノクロ化した美しい白筋の滝はゆっくりと縦にスクロールしてゆき、それを背にあずささんがたおやかに舞う。
あずささんの手の動きを意識して追ってみるとなかなか面白い。
20秒にも満たない白と黒のステージは、表現に必要なものを最小限まで削ぎ落とした水墨画や俳句の世界に通ずるものを感じさせ、味わい深いシーンを作り出していると思います。
次のお気に入りは[1:38~1:41]。
非常に短い一瞬のシーンなんですが、夜空をステージに、頭上から回り込むアングルで映したあずささんの立ち姿がなんとも言えず好きでして。このシーンを何度もリピートしてはぼけーっと眺めたりしてます。
[2:31]。幻想的な蝶の群れ。
外の世界から隔絶された森を抜け、ビルがひしめく人間の世界へ。
幻を忘れ去った人間の世にあって蝶たちは氷のように溶けゆく。
★関連動画
[あきのじP/PV/東方m@ster/あずさソロ]
好きでして。
こんこんと湧き出でる岩清水のように好きでして。
喩えがよくわかりませんがとにかく好きでして。
今回の20選で得た一番の収穫は、この作品と出会えたことでした。
使用楽曲は東方アレンジボーカル曲の「にとり」。
物悲しき和のメロディーを弾く琴の音が心の奥をくすぐり、和楽器のような哀愁の響を紡ぎだすボーカルが耳に心地よい。
歌曲の緩やかな調べをなぞるかのようにゆるりゆるりと舞うあずささん。
その様は、水面に浮かぶ花弁か紅葉のよう。
しみじみとした味わいがたまらない作品です。
好みの曲に乗せて、大好きなあずささんが雰囲気たっぷりに舞う。
たったそれだけのことなのになぜこんなにも私の心に染み入ってくるのでしょう。
衣装のハカマグラデュエーションもいいですね。
もともとあずささんの袴姿は大好きでしたが、この作品でのハカマグラデュエーションはビジュアルが和風な曲の雰囲気にマッチしているだけではなく、袖の翻りや袴の揺れなど、ゆったりとした衣装の動きもまた曲調に合っていて作品の雰囲気作りに一役買ってるんじゃないかなと思います。
では、お気に入りのシーンをピックアップしてみましょう。
まずは[0:17]のシーン。
原曲「芥川龍之介の河童 ~ Candid Friend」をテーマソングとするのは河童の少女河城にとり。揺れ動く背景の水面と水底から立ち昇る水泡のエフェクトは、水と切っても切り離せない河童の彼女を想起させます。
また、あずささんの舞の振り付けも、とても丁寧な印象。
「重ねる強き願い」の「願い」のところで手を重ね合わせ頷き、そっと瞳を閉じる。その動作はとても印象的で、序盤の見せ場としてうまくメロへとつないでいると思います。それから口の動きにも要注目。ここぞとばかりに口の動きまで歌詞にぴたりと合わせてきます。
[0:43~1:00]。モノクロ化した美しい白筋の滝はゆっくりと縦にスクロールしてゆき、それを背にあずささんがたおやかに舞う。
あずささんの手の動きを意識して追ってみるとなかなか面白い。
20秒にも満たない白と黒のステージは、表現に必要なものを最小限まで削ぎ落とした水墨画や俳句の世界に通ずるものを感じさせ、味わい深いシーンを作り出していると思います。
次のお気に入りは[1:38~1:41]。
非常に短い一瞬のシーンなんですが、夜空をステージに、頭上から回り込むアングルで映したあずささんの立ち姿がなんとも言えず好きでして。このシーンを何度もリピートしてはぼけーっと眺めたりしてます。
[2:31]。幻想的な蝶の群れ。
外の世界から隔絶された森を抜け、ビルがひしめく人間の世界へ。
幻を忘れ去った人間の世にあって蝶たちは氷のように溶けゆく。
★関連動画
2010.01.17 (Sun)
【20選だべり01】 Schwarz Nacht 〔ミギシタP〕
◆アイドルマスター 『Schwarz Nacht』
[ミギシタP/PV/あずさソロ]
開幕の10秒で、惚れました。
胸をかき鳴らすような哀愁の弦の旋律。
青の色彩に暗く沈んだステージにたたずむあずささん。
身に纏うは黒きパンキッシュゴシックとナイト帽子。
あずささんの顔をのぞきこもうと右斜めから迫るカメラ。
しかし、帽子の広いつばに遮られ、目から上は窺い知れない。
影に落ちる口元には、かすかに微笑が浮かんでいて……
音楽と映像が織り成す作品の空気にもう惚れ惚れ。
みとせのりこさんの美しい歌声もあずささんと親和性が高く、ぜひあずささんにカバーしてもらいたい曲です。
衣装の選択もナイスだと思います。ナイト帽子に合わせるとなると私なんかはついゴシプリを選びたくなってしまうんですが、ミギシタPはパンゴシをチョイス。ファンタジーな曲調とよくマッチしてますね。
初見時にはマイリストをするという習慣がなかったので即マイリストしたわけではないのですが、マイリストの習慣があれば間違いなくマイリストするだろうなという感触を抱き、見終わった後に即DLしました。今回の20選の選考中にマイリストしたのは言うまでもありません。
[0:16]の辺りもおすすめです。
弦の調べの他にも音が加わり、テンポが静から動へと変わる。
それと同時にあずささんが緩やかに動き出し、色たちもあずささんに戻る。
いいですね。ガッツリと私のハートをつかんでくれます。うふふ。
そして迎えるサビの高音パート。[1:33]。
「錆び付いた」という歌詞を切ない声音で歌いあげる時、数歩前へ進みながら左手を高くまっすぐ上げる振りつけが歌にすごく合っていて、めちゃめちゃ好みです。この時、あずささんの半透明なアップが画面に映っているところもグッドですね!
次のおすすめシーンは、中盤の間奏後の[2:24]から。
何度も同じ動作を繰り返して衣装チェンジへと至る一連の流れがかっこいい。
「繰り返し」。これがこの作品のキーワードです。
一連の動きを細かく分解してみると、
①胸元で重ねていた両手を左右に離し、別アングルから撮影したターンを3回連続で繰り返す[2:24~2:27]
②右手→左手の順で手を頭上にあげる動作を別アングルで2回繰り返し、この動作中にあずささんが透過して背景が夜空になる[2:28~2:31]
ちなみにタイトルの『Schwarz Nacht』は「黒い夜」という意味らしい。
③再び軽やかに1回ターン[2:32]
④ターンが終わる刹那に白のボーカル衣装にチェンジ![2:33]
⑤2回目のサビ。高音で「抱きしめる」という歌詞を切なく歌うあずささんの表情と振りつけが素晴らしい! 思わずあずささんを抱きしめたくなってしまう![2:33~2:36]
そして、ラスト付近にも思わせぶりなシーンがあります。
[3:33]。歌が終わった後、囁くように口を動かすあずささん。
さあ、何と囁かれているのか。あずさスキーの妄想の発揮のしどころです!
ここから少し脇道にそれまして、個人的なエピソードをひとつ。
まずはgase2さんのこちらの記事をお読みください。
がーちんの慧眼マジ最高!
ごめんなさいねgase2さん。> ('A`)
いやァ、むらたまさん正直びっくりです。
よりにもよって、まさか20選なんていうカズマさんの罠にクマーされなきゃやらなかったであろう企画に参加する形で『Schwarz Nacht』の記事を書くことになろうとは…。こうもズバリと当てられちゃうと慧眼というか予言に近いですよね。ぎゃあ。
この記事を読んだ時、嬉しいような恥ずかしいような悔しいような複雑な気持ちがしたのをよく覚えています。まるで子どもの頃、好きな子を友達に当てられちゃったときのような…、「おい、むらたまー。お前の好きなやつ、あずさだろー?」とか的中されちゃったみたいで。んで、むらたまさんは基本むっつりですから「べっべBヴぇべべべっつに三浦のことなんか、なっなんとも思ってないし!」とか必死こいて、本当は好きなのに興味ないフリしてまともに記事にレスしないでスルーしちゃうわけです。嗚呼、甘酸っぱい青春メモリー。べっべつに、記事のネタに困ったら回収させてもらおうなんて1ゲイツも思ってなかったんだからね! 勘違いしないでよね!
マジでごめんなさいねgase2さん。> ('A`)
時は流れて、ClubNightsに参加させていただいたり現実クエストで無視できないイベントが勃発したりでこの記事のことを忘れてしまい、やがてMSWinterが発売され、大晦日が来て年も変わり、ブラザーの設置式トラップに自らひっかかって20選をやることになり、選考準備に取りかかりました。
選考の結果、『Schwarz Nacht』がほぼ確実に20選入りすることが決まった段階になって、不意にgase2さんの記事のことを思い出しました。ところが、カラス頭の私はどのPのどの作品について言及された記事だったかをすっかり忘れていました。ここが重要。
んで、20選を確定する前にチェックしておこうとgase2さんのお宅に寄ってみたら、これ。
爆笑。
参っちゃったなー、数ヶ月前から私の行動なんてお見通しですか、gase2大将。
あの時はもうね、笑うしかなかったです。釈迦の手の平の上で遊ばれてる孫悟空の心境ってこんな感じだったんでしょうか。もうね、ちょ→くやしい。
これを書いている今もですね、この記事を読んだらgase2さんが鬼の首を取ったかのようにニヨニヨ笑うんだろうなァと思うと悔しいったらないんですが、むらたまさんはニコマス紳士ですから紳士らしく潔く負けを認めましょう。
これで勝ったと思わないでよネ!
gase2大将への宣戦布告は以上である。
しかし剣先を交える勇気はござらんので無視して頂いて結構。
なお、トスをすると見せかけてアタックをぶつけてきたgese2大将のこの部分に関しまして、
大将に指摘されて初めて気がついたとか口が裂けても言えません。ええ、言えませんとも。
や、これでも一応「やけにターンが多いなー」くらいは思っていたんですヨ?
ただ、私は普段、それを記事に書こうと思わない限りざっくりとした視聴スタイルを採用しておりますので、歌とダンスのぴったり感がどうこうとか自作ステージなどの技術がどうこうとかあまり深く考えません。 歌とダンスはだいたい雰囲気がなんとなく合ってればそれでOKだし、目をひん剥くような技術があろうがなかろうがそんなのはまるっきり関係ないとまでは言いませんがお気に入りになるかどうかの決定打にはなりません。
大事なのは、その作品を雰囲気をなんとなく好きになれるかどうか、面白いと思えるかどうか、一瞬でもティンとくるものがあるかどうかで、こればっかりは自分の目で作品を見てみないことにはわからない。つまり何を言いたいかっていうと、ダンスの細かいトコはいつもはあんまり見てないから、gase2大将が指摘してる部分について全然気がつかなかったとしても、むらたまさんはうっかり者ではないということです。単に、ニコマス検定初級にも不合格になる程度の能力ってだけですハイ。
ここの部分について返答いたします。
『Schwarz Nacht』に見られるダンスの繰り返しは、あれを「シンクロ」という観点からのみ捉えるから無理に見えるだけであって、あの2度も3度も同じ振りつけを繰り返すというダンス構築の真の狙いは、視聴者に対して強い印象を残すことにあるのではないかと思います。
「大事なことだから2度言いました」とは使い古された言葉ですが、この言葉にあるように、アングルを変えたりカメラの距離を変えたりしながら同じ振り付けを何度も何度も繰り返し見せることによって、視聴者の記憶にダンスをグリグリ刷り込もうとしているわけです。まァ、この演出にまるで気がついてなかった私が言うと説得力に欠けちゃいますが、けれど私のように散漫な見方をしていても、ダンスに関して「やけにターンが多いなー」と感じるくらいには記憶に残るんです。これってミギシタPの術中にハマってると思うんですよ。
もちろん、何度も何度も同じダンスを繰り返す副作用として、「シンクロ」を重要視する人が見ると、ダンスがくどい、あるいは断絶しているといった風に感じてしまう。しかし、これはもうしゃーない。だって「シンクロ重視のダンス」ではなく「記憶重視のダンス」なんだから。
記憶に焼きつけることを優先させた結果、不可避的に生じてしまうシンクロの支障についてはこの作品では元々織り込み済みなのです。もしかしたらミギシタPは、この作品で、刷り込みを狙ったダンスの実験(とシンクロとの調和を図る実験)をしようとしていたのかもしれません。でなければ、あんなあからさまに何度もダンスを繰り返したりはしないでしょう。
だから、gase2さんの言う「同じ振り付けを連続で何回もやらせる演出が個性的です。振り付けは厳密には連続しておらず、…(中略)…ここまで来ると『そういう動画』になってしまって」という部分には同意です。恐らく「そういう動画」なんです、この作品は。
ただ、「全く違和感がありません」という部分については、この作品を見る視聴者がシンクロを重要視する人かどうか、あるいは私のようにシンクロはざっくり合ってりゃOKという考え方の人かどうかによって評価が分かれてくるでしょう。作品に対する評価というものは、必ずしも製作者の意図を汲んでくれるとは限りませんから。ええ、玉々草とかいうブログを見れば一目瞭然です。なんてひどいんだ。
とはいえ、この作品においてミギシタPが完全にシンクロを無視しているかというとそうでもありません。振り付けを繰り返すパート以外のパートではちゃんとそこら辺を意識したダンスが構築されています。
と、偉そうにニコマス検定初級不合格者が申しておりますが如何でしょう? > ('A`)
いやん。
[ミギシタP/PV/あずさソロ]
開幕の10秒で、惚れました。
胸をかき鳴らすような哀愁の弦の旋律。
青の色彩に暗く沈んだステージにたたずむあずささん。
身に纏うは黒きパンキッシュゴシックとナイト帽子。
あずささんの顔をのぞきこもうと右斜めから迫るカメラ。
しかし、帽子の広いつばに遮られ、目から上は窺い知れない。
影に落ちる口元には、かすかに微笑が浮かんでいて……
音楽と映像が織り成す作品の空気にもう惚れ惚れ。
みとせのりこさんの美しい歌声もあずささんと親和性が高く、ぜひあずささんにカバーしてもらいたい曲です。
衣装の選択もナイスだと思います。ナイト帽子に合わせるとなると私なんかはついゴシプリを選びたくなってしまうんですが、ミギシタPはパンゴシをチョイス。ファンタジーな曲調とよくマッチしてますね。
初見時にはマイリストをするという習慣がなかったので即マイリストしたわけではないのですが、マイリストの習慣があれば間違いなくマイリストするだろうなという感触を抱き、見終わった後に即DLしました。今回の20選の選考中にマイリストしたのは言うまでもありません。
[0:16]の辺りもおすすめです。
弦の調べの他にも音が加わり、テンポが静から動へと変わる。
それと同時にあずささんが緩やかに動き出し、色たちもあずささんに戻る。
いいですね。ガッツリと私のハートをつかんでくれます。うふふ。
そして迎えるサビの高音パート。[1:33]。
「錆び付いた」という歌詞を切ない声音で歌いあげる時、数歩前へ進みながら左手を高くまっすぐ上げる振りつけが歌にすごく合っていて、めちゃめちゃ好みです。この時、あずささんの半透明なアップが画面に映っているところもグッドですね!
次のおすすめシーンは、中盤の間奏後の[2:24]から。
何度も同じ動作を繰り返して衣装チェンジへと至る一連の流れがかっこいい。
「繰り返し」。これがこの作品のキーワードです。
一連の動きを細かく分解してみると、
①胸元で重ねていた両手を左右に離し、別アングルから撮影したターンを3回連続で繰り返す[2:24~2:27]
②右手→左手の順で手を頭上にあげる動作を別アングルで2回繰り返し、この動作中にあずささんが透過して背景が夜空になる[2:28~2:31]
ちなみにタイトルの『Schwarz Nacht』は「黒い夜」という意味らしい。
③再び軽やかに1回ターン[2:32]
④ターンが終わる刹那に白のボーカル衣装にチェンジ![2:33]
⑤2回目のサビ。高音で「抱きしめる」という歌詞を切なく歌うあずささんの表情と振りつけが素晴らしい! 思わずあずささんを抱きしめたくなってしまう![2:33~2:36]
そして、ラスト付近にも思わせぶりなシーンがあります。
[3:33]。歌が終わった後、囁くように口を動かすあずささん。
さあ、何と囁かれているのか。あずさスキーの妄想の発揮のしどころです!
ここから少し脇道にそれまして、個人的なエピソードをひとつ。
まずはgase2さんのこちらの記事をお読みください。
でもこの方(ミギシタP)、過去にはあずさソロで「Schwartz Nacht」というガチの名作を作ってる方なんですね。こちらもいいですよ。コメに書かれている通り、同じ振り付けを連続で何回もやらせる演出が個性的です。振り付けは厳密には連続しておらず、無理のある部分が多々あり、ステージ系のPVではこういう「無理なシンクロ」には注文を付ける人も多いんですが、ここまで来ると「そういう動画」になってしまって、全く違和感がありません。ま、いずれむらたまさんが取り上げてくれるはずですw
がーちんの慧眼マジ最高!
ごめんなさいねgase2さん。> ('A`)
いやァ、むらたまさん正直びっくりです。
よりにもよって、まさか20選なんていうカズマさんの罠にクマーされなきゃやらなかったであろう企画に参加する形で『Schwarz Nacht』の記事を書くことになろうとは…。こうもズバリと当てられちゃうと慧眼というか予言に近いですよね。ぎゃあ。
この記事を読んだ時、嬉しいような恥ずかしいような悔しいような複雑な気持ちがしたのをよく覚えています。まるで子どもの頃、好きな子を友達に当てられちゃったときのような…、「おい、むらたまー。お前の好きなやつ、あずさだろー?」とか的中されちゃったみたいで。んで、むらたまさんは基本むっつりですから「べっべBヴぇべべべっつに三浦のことなんか、なっなんとも思ってないし!」とか必死こいて、本当は好きなのに興味ないフリしてまともに記事にレスしないでスルーしちゃうわけです。嗚呼、甘酸っぱい青春メモリー。べっべつに、記事のネタに困ったら回収させてもらおうなんて1ゲイツも思ってなかったんだからね! 勘違いしないでよね!
マジでごめんなさいねgase2さん。> ('A`)
時は流れて、ClubNightsに参加させていただいたり現実クエストで無視できないイベントが勃発したりでこの記事のことを忘れてしまい、やがてMSWinterが発売され、大晦日が来て年も変わり、ブラザーの設置式トラップに自らひっかかって20選をやることになり、選考準備に取りかかりました。
選考の結果、『Schwarz Nacht』がほぼ確実に20選入りすることが決まった段階になって、不意にgase2さんの記事のことを思い出しました。ところが、カラス頭の私はどのPのどの作品について言及された記事だったかをすっかり忘れていました。ここが重要。
んで、20選を確定する前にチェックしておこうとgase2さんのお宅に寄ってみたら、これ。
でもこの方(ミギシタP)、過去にはあずさソロで「Schwartz Nacht」というガチの名作を作ってる方なんですね。こちらもいいですよ。…(中略)…ま、いずれむらたまさんが取り上げてくれるはずですw
爆笑。
参っちゃったなー、数ヶ月前から私の行動なんてお見通しですか、gase2大将。
あの時はもうね、笑うしかなかったです。釈迦の手の平の上で遊ばれてる孫悟空の心境ってこんな感じだったんでしょうか。もうね、ちょ→くやしい。
これを書いている今もですね、この記事を読んだらgase2さんが鬼の首を取ったかのようにニヨニヨ笑うんだろうなァと思うと悔しいったらないんですが、むらたまさんはニコマス紳士ですから紳士らしく潔く負けを認めましょう。
これで勝ったと思わないでよネ!
gase2大将への宣戦布告は以上である。
しかし剣先を交える勇気はござらんので無視して頂いて結構。
なお、トスをすると見せかけてアタックをぶつけてきたgese2大将のこの部分に関しまして、
同じ振り付けを連続で何回もやらせる演出が個性的です。振り付けは厳密には連続しておらず、無理のある部分が多々あり、ステージ系のPVではこういう「無理なシンクロ」には注文を付ける人も多いんですが、ここまで来ると「そういう動画」になってしまって、全く違和感がありません。
大将に指摘されて初めて気がついたとか口が裂けても言えません。ええ、言えませんとも。
や、これでも一応「やけにターンが多いなー」くらいは思っていたんですヨ?
ただ、私は普段、それを記事に書こうと思わない限りざっくりとした視聴スタイルを採用しておりますので、歌とダンスのぴったり感がどうこうとか自作ステージなどの技術がどうこうとかあまり深く考えません。 歌とダンスはだいたい雰囲気がなんとなく合ってればそれでOKだし、目をひん剥くような技術があろうがなかろうがそんなのはまるっきり関係ないとまでは言いませんがお気に入りになるかどうかの決定打にはなりません。
大事なのは、その作品を雰囲気をなんとなく好きになれるかどうか、面白いと思えるかどうか、一瞬でもティンとくるものがあるかどうかで、こればっかりは自分の目で作品を見てみないことにはわからない。つまり何を言いたいかっていうと、ダンスの細かいトコはいつもはあんまり見てないから、gase2大将が指摘してる部分について全然気がつかなかったとしても、むらたまさんはうっかり者ではないということです。単に、ニコマス検定初級にも不合格になる程度の能力ってだけですハイ。
同じ振り付けを連続で何回もやらせる演出が個性的です。振り付けは厳密には連続しておらず、…(中略)…ここまで来ると「そういう動画」になってしまって、全く違和感がありません。ま、いずれむらたまさんが取り上げてくれるはずですw
ここの部分について返答いたします。
『Schwarz Nacht』に見られるダンスの繰り返しは、あれを「シンクロ」という観点からのみ捉えるから無理に見えるだけであって、あの2度も3度も同じ振りつけを繰り返すというダンス構築の真の狙いは、視聴者に対して強い印象を残すことにあるのではないかと思います。
「大事なことだから2度言いました」とは使い古された言葉ですが、この言葉にあるように、アングルを変えたりカメラの距離を変えたりしながら同じ振り付けを何度も何度も繰り返し見せることによって、視聴者の記憶にダンスをグリグリ刷り込もうとしているわけです。まァ、この演出にまるで気がついてなかった私が言うと説得力に欠けちゃいますが、けれど私のように散漫な見方をしていても、ダンスに関して「やけにターンが多いなー」と感じるくらいには記憶に残るんです。これってミギシタPの術中にハマってると思うんですよ。
もちろん、何度も何度も同じダンスを繰り返す副作用として、「シンクロ」を重要視する人が見ると、ダンスがくどい、あるいは断絶しているといった風に感じてしまう。しかし、これはもうしゃーない。だって「シンクロ重視のダンス」ではなく「記憶重視のダンス」なんだから。
記憶に焼きつけることを優先させた結果、不可避的に生じてしまうシンクロの支障についてはこの作品では元々織り込み済みなのです。もしかしたらミギシタPは、この作品で、刷り込みを狙ったダンスの実験(とシンクロとの調和を図る実験)をしようとしていたのかもしれません。でなければ、あんなあからさまに何度もダンスを繰り返したりはしないでしょう。
だから、gase2さんの言う「同じ振り付けを連続で何回もやらせる演出が個性的です。振り付けは厳密には連続しておらず、…(中略)…ここまで来ると『そういう動画』になってしまって」という部分には同意です。恐らく「そういう動画」なんです、この作品は。
ただ、「全く違和感がありません」という部分については、この作品を見る視聴者がシンクロを重要視する人かどうか、あるいは私のようにシンクロはざっくり合ってりゃOKという考え方の人かどうかによって評価が分かれてくるでしょう。作品に対する評価というものは、必ずしも製作者の意図を汲んでくれるとは限りませんから。ええ、玉々草とかいうブログを見れば一目瞭然です。なんてひどいんだ。
とはいえ、この作品においてミギシタPが完全にシンクロを無視しているかというとそうでもありません。振り付けを繰り返すパート以外のパートではちゃんとそこら辺を意識したダンスが構築されています。
と、偉そうにニコマス検定初級不合格者が申しておりますが如何でしょう? > ('A`)
いやん。